2024年11月25日(月)

オトナの教養 週末の一冊

2012年7月27日

 2030年の日本のエネルギーの選択肢について「国民的議論」をするとした国家戦略室主催の意見聴取会がスタートした。

 聴取会に参加した人の話や報道から知りうる限りでは、真摯な議論ができるような器になっていないと感じる。

 たとえば、電力を供給する当事者であり、経験と専門的知識を有する電力会社社員の意見表明が、会場の反発を受けたために、以後は禁じられることになった。

 刑事裁判でも被告の意見を述べる機会は与えられるのに、“被告”でもない電力会社の一社員が意見を封じられるとは。これが自由な議論の場といえるだろうか。

議論の仕方から学ぶべき

 国民の代表である国会議員による“議論”のていたらくを見れば、推し量られることではあるが、なぜ、異なる意見に耳を傾け、疑問点があれば確かめて、論理的に反論するという冷静な議論ができないのか。

 気に食わなければヤジを飛ばす、罵倒する。そして、「いのち」や「被害者の感情」といった、相手を沈黙させる言葉を持ち出して封印する。こんな“議論”からは、何も生まれない。

 日本の、いや私たち一人ひとりの死活問題であるエネルギーの将来像を考えるにあたって、私たちはまずは議論の仕方から学ばねばならないと痛感する。

「ロボトミー」は本当に危険なのか

 本書は、生命科学や医学の研究と臨床応用を中心にした科学政策論を専門とする橳島次郎さんの最新作。脳科学研究とその応用のあり方を、「ロボトミー」という脳を切る手術の歴史を通して問うている。

 「ロボトミー」といえば、『カッコーの巣の上で』(原作小説1962年、映画75年)を連想するように、人権を無視した脳外科手術というイメージをお持ちの方が多いのではないだろうか。

 「ロボトミーに代表される精神外科手術は、危険かつ有害で、効果のない治療法であり、否定すべき過去の暴挙であったとの認識が、現在、とくに日本では、定着している」と、著者はいう。


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