精神外科とは、脳に外科手術を施して精神疾患を治そうとする試みで、ロボトミーはその一種に過ぎず、「人の脳への最も過激な介入の例」である。
しかし、著者の丁寧な調査研究によると、精神外科に否定的な評価が下されるようになったのは、その全盛期をとうに過ぎた1960年代後半から70年代にかけてのことで、50年代までは医学的に否定されていなかった。
もちろん、後遺症に関する批判はあったが、専門医は、「精神外科を否定するのではなく、より効果が高く副作用の少ない手術方法を探ることで批判に応えようとした」。
日本ではまるで「なかった」ことにされた精神外科
ではなぜ、強い非難の対象にされたのか。著者は、冷静かつ真摯な目で精神外科の医学的な意義と社会からの批判を分析する。
ひとつには、1960年代に入って始まった、精神医療全体に異議申し立てを行なう「反精神医学運動」のなかで、精神外科が批判対象になったことが大きく影響している。
40年代から50年代のロボトミー全盛時代の好意的見方とは対照的に、先の『カッコーの巣の上で』に代表されるように、「70年代の米国メディアと大衆文化は、精神外科の濫用の恐怖を声高に訴えたのだった」。
しかし、欧米では、いまでも精神疾患を外科手術で治療しようとする試みが、脳の研究と結びついて続けられている。かたや、「日本では、精神外科はある時期から全否定され、治療の選択肢としても研究対象としても、存在することすら示されない状況が長く続いている」。
議論を封じ込め、まるで「なかった」ことのようにその意義すらも歴史から消去する態度は、今日の脳科学研究とその応用において決してよいことではない。むしろ、脳科学をゆがめることに加担するはずだ。