2024年5月14日(火)

ヒットメーカーの舞台裏

2012年8月13日

白米だけのご飯に感動し
3杯おかわりしたのが原点

 和田が食品メーカーで働こうと思い始めたのは、実に小学生の時だったという。幼少時から皮膚アレルギーだったため、母親は食事療法にも気を配った。

 ある日、久しぶりに白米だけのご飯を食べる機会があり、和田はその美味しさに感動して3杯おかわりした。「将来は食品にかかわる仕事がしたい」と、おぼろげながら進路を定めるほど、強烈な食体験だった。

 和田は当時始めた野球を大学まで続けている。そうしたひた向きさで、結局、職業選択でも初志を貫徹した。商品開発では「笑顔がある幸せな食卓のシーン」を、いつも思い描きながら取り組むという。ヒットを連発させたものの、和田の目標は、もっと高いところにある。

 ミツカンの看板商品である「味ぽん」を超えるような商品の企画・開発だ。和田の価値観に置き換えれば、同社の商品群で「お客様から最も多くの笑顔をいただけるもの」を世に送り出すということになる。(敬称略)

■メイキング オブ ヒットメーカー 和田 悠(わだ・ゆう)さん
ミツカン MD本部 製品企画部製品企画2課

和田悠さん (写真:井上智幸)

1981年生まれ
兵庫県西宮市出身。5歳のときに大阪市内に引っ越す。人見知りで恥ずかしがりやの大人しい性格だった。小学校3年生のときから、クラブ活動の一環で野球を始め、徐々に性格も前向きになっていった。大阪の天王寺高校に進学してからも野球を続け、ポジションはピッチャーだった。3年生のときにレギュラー選手となり、夏は激戦の大阪府予選で4回戦まで勝ち進んだ。
2000年(18歳)
大阪大学工学部応用生物学科に進学。研究対象は寄生植物のヤセウツボだった。クローバーなどに寄生し、南アフリカにおける砂漠化の原因にもなっていた。寄生植物を研究することは、世の中のためになると考えていた。
2006年(24歳)
ミツカンに入社。1年目はぽん酢の開発に携わる。2年目にマーケティング本部に異動となり、特定の分野に限らず新しいヒット商品を開発することを求められたが、目立った成果を出すことはできなかった。
2008年(26歳)
ふりかけや粉末商品(中華料理やスープの素など)の商品企画を担当することになった。この頃から、商品企画の面白さに目覚め始め、「ごまリッチ」などのヒット商品を生み出すに至る。

◆WEDGE2012年8月号より

 

 

 

 

 

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