MRJプロジェクトの遅延につながった民間機と防衛機のギャップ
Boeing767の国際共同開発に加わったのち、三菱重工業を含めた日本の重工メーカーはBoeing777、Boeing787、そして現在開発中のBoeing777Xへと参画を続けていった。胴体及び翼に炭素繊維複合材を使用したBoeing787では日本メーカーの参画比率は35%となり、重要部品である主翼の製造は三菱重工業が担当となった。炭素繊維は東レが独占供給し、初号機納入先であるローンチカスタマーは全日空が担うなど同機は日本企業の活躍を象徴するプロジェクトとなったのである。
このように民間航空機ではサプライヤーへとシフトしていったのだが、重工メーカー内で防衛航空機を担当する部門では引き続き戦闘機、輸送機、哨戒機(潜水艦などのパトロールに使われる航空機)、飛行艇(水面発着機)など、航空機全体の開発・生産を担い続けていた。
メーカー内の同じ航空機部門において、一方はサプライヤー、もう一方は航空機全体という状態が続くと、現場では民間航空機においても航空機全体の開発(=“全機開発”)に取り組みたいという気持ちが生まれてくる。
三菱重工業に限らず他の重工メーカーでも民間航空機にチャレンジするプロジェクトが立ち上がり、構想段階でそれ以上進まなかったプロジェクト、ある程度のところまで進んだ後に撤退するプロジェクトなどが過去に存在してきた。
このような状況の中で浮上したのがMRJプロジェクトだった。
三菱重工業としてはサプライヤーから全機開発へとシフトすることで新たなステージを目指せる、経済産業省としては国主導で失敗に終わったYS-11とは異なり民間主導で民間航空機開発を進められるということから、三菱重工業と経済産業省のトップが合意して始めたプロジェクトだった。
しかし、プロジェクトを進めていく中でいくつかの壁にぶつかる。第一はサプライヤーとしての経験が長すぎて全機開発の経験者がほとんどいなくなってしまった民間航空機部門において、誰が開発をリードするかという問題だった。
私が航空機武器宇宙産業課に着任しプロジェクトを担当し始めた当初はこの問題がまだ解決されていなかった。結果的に全機開発の経験が豊富な防衛部門からエンジニアを引っ張ってくることで開発をリードできる体制を構築した。
これでMRJプロジェクトは順調に軌道に乗るはずだった。
しかし、実際はなかなかそういかなかった。MRJプロジェクトが生まれる背景となった“全機開発”の捉え方に問題があったからだ。