ザ・移動革命

2020年11月10日

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伊藤慎介 (いとう・しんすけ)

株式会社rimOnO 代表取締役社長

1999年に旧通商産業省(経済産業省)に入省し、自動車、IT、エレクトロニクス、航空機などの分野で複数の国家プロジェクトに携わる。2014年に退官し、同年9月に超小型電気自動車のベンチャー企業、株式会社rimOnO(リモノ)を設立。2016年5月に布製ボディの超小型電気自動車”rimOnO Prototype 01”を発表。現在は、CASEやMaaSなどモビリティ分野のイノベーション活動に従事。KPMGモビリティ研究所アドバイザー、東京電力ホールディングス株式会EV戦略特任顧問などを兼務。

(三菱スペースジェット、プレスキットより)

 10月30日、三菱重工業はSpaceJet M90の開発活動について「一旦立ち止まる」と発表した。2008年にMRJ(Mitsubishi Regional Jet)として開発をスタートした50年ぶりの国産民間機開発が事実上の開発凍結となったことを意味する。

 SpaceJetことMRJプロジェクトには、私が経産官僚時代であった終盤の2011~2013年に航空機武器宇宙産業課の課長補佐として深く関与した。YS-11以来の国産民間機開発であり、初の国産ジェット機開発ということで周囲からの期待は非常に大きかった。しかし、プロジェクトの内情を知れば知るほど課題山積であることに衝撃を受けた。全てを語る訳にはいかないが、なぜ事実上の開発凍結に至ってしまったのか、このことが今後の航空機産業及びその周辺業界にどのような影響を与えうるのかについて語りたい。

初の国産民間機YS-11の挫折

YS-11(gyro/gettyimages)

 SpaceJetが陥った苦境を理解するため、初の国産民間機YS-11の歴史を振り返ってみたい。YS-11は国が60%、民間企業が40%を出資して設立した日本航空機製造株式会社が母体となって事業が行われた。リスクを取ることも含めて国が主導して進めたプロジェクトだった。

 しかし、1964年から1973年までの9年間に182機を製造したものの営業力の弱さ、価格競争力、不十分なサービス体制などが理由で360億円の赤字に至り、日本航空機製造は解散に至った。

 YS-11の終了後、YS-11よりも座席数の多いYS-33やYXなどのジェット機の開発にシフトしていく検討が行われた。しかし、日本単独で開発することは困難であるとのことから、最終的にボーイングが開発を進めるBoeing767を「国際共同開発」する道を選ぶこととなった。国際共同開発というと聞こえは良いが、単独での航空機開発を断念し、海外航空機メーカーの開発・製造にサプライヤーとして加わることになったことを意味していた。

 こういうとYS-11が失敗であったように思われてしまうが、最大手であるボーイングのプロジェクトに日本企業が加わることができたのは、YS-11を通して日本勢が航空機全体の開発・製造を行える実力があると認められたことがあったことは付け加えておきたい。

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