2022年7月6日(水)

WEDGE REPORT

2020年11月17日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

進む中国の衛星国化の波

 中国の衛星国化の波はラオスを越えカンボジアに進み、いまやタイに転じようとしている。タイで起きている王室改革の動きを国内問題、それも民主化を求める若者の素朴な叫びと直截に捉えるだけでは、やはり今後の見通しを見誤りかねない。王室改革運動の背後に潜む“闇”は、それほどまでに深いのである。

 10月半ば、東南アジアの一部の華字メディアは「ロドリゴ・ドゥテルテ政権が中国企業による一層の影響力拡大――7カ所の中国軍基地建設、フィリピンの主権侵犯、西フィリピン海における海洋資源の掠奪と破壊――を許しているゆえに、同政権打倒闘争の一環として、NPA(新人民軍)はフィリピン進出の中国企業の影響力拡大阻止を目指し攻撃強化を打ち出す」と報じた。この報道が正しいとしても、フィリピンにおける中国の影響力拡大を阻止することは容易ではないだろう。

 安倍外交を踏襲した菅政権も「自由で開かれたインド太平洋」構想を打ち出す。だが、この構想に、すでに中国の裏庭化が進む東南アジアをどのように位置づけるのか。曖昧なままだ。インド、オーストラリア、日本、アメリカの4カ国が中国包囲網で手を組んだとしても、東南アジアを欠いたなら「自由で開かれたインド太平洋構想」は絵に描いたモチに近く、習近平政権を追い詰めることは至難だと思う。

 こう見てくると、中国が進める東南アジア囲い込み策は“満額回答”とは言えないまでも、ほぼ成功裏に進んでいる。つまり積年の無策、あるいは弥縫策ゆえに、アメリカは東南アジアにおいて窮地に立たされているのである。

 だからこそ、中国に対するワシントンの見方は共和党・民主党を問わず今後は一層の厳しさを増すことになろう。バイデン政権であれ香港問題、宗教問題、少数民族問題を問わず基本的には強く対応せざるを得ないだろうし、オバマ政権当時の曖昧な融和政策に、もちろんトランプ政権の気紛れ路線に戻らないことを強く期待したい。オバマ政権の掲げた「戦略的忍耐」などは、中国を利するだけの無為無策と同義語でしかなかった。

 習近平政権が進める野心的な海洋進出を押し返すための第一段階として、バイデン政権は南シナ海における第7艦隊に依る「自由航行作戦(Freedom of Navigation Operation)」を強力に、持続的に推進する必要がある。

 だが、その一方で重要なのが中国が影響力を増している東南アジアの国々との信頼関係の再構築であり醸成だ。そこでバイデン政権としては、ホンネ剥き出しのトランプ外交でも、ましてやキレイごとで飾ったオバマ外交でもない伝統的な現実路線――まさに中国が掲げる口先だけの「双贏(ウィンウィン)関係」ではない相互の理解・利益路線――の再構築に努めることが急務となるだろう。

 トランプ外交はWHO(世界保健機関)への対処に見られるように、経済制裁、あるいは懲罰気味の経済処置に重きを置き過ぎた。一刀両断的対処法はストレス解消に即効性は期待できても、一過性で終わり、客観情勢の漸進的変容には耐えられそうにない。一方のオバマ外交はキレイごとに傾いたままだった。どだい誰にも否定できないようなキレイごとはウソに近いのだ。

 であればこそバイデン外交は前任者や前々任者の夢物語のような非現実的路線を踏襲するのではなく、中国の側に振り向いてしまった各国政府の関心を自らの側に引き戻すことに先ずは務めるべきだ。その場合の大前提は、アメリカが個別・具体的な利益を提示できるか否かだろう。

 たとえば先月、USTR(アメリカ合衆国通商代表部)は、タイに与えていた200品目を超える関税優遇措置を唐突に撤廃した。新型コロナ禍に打ちひしがれた目下のタイ経済は、この措置に耐えられるほどに強靭ではない。中国離れを目指す外資にとっての新たな投資先として熱い視線が注がれるヴェトナムとの貿易では、今年前半の7カ月でアメリカの赤字は348億ドルに上るとの報告もある。トランプ政権は対症療法的に報復的措置に転じようとするが、それがヴェトナム経済に打撃を与えることを十分に考慮すべきだ。

 タイのスパチャイ元WTO(世界貿易機関)事務局長(在任期間:2002~05年)は、11月7日にバンコクで行われた講演会において、「バイデン大統領の登場によってアメリカは多国間関係重視路線に戻ることで、アジアや中国との間に良好な貿易・協力関係が戻るだろう」との見解を示すと共に、「アメリカの変化に対応し、タイは産業界も含め環境政策と持続可能な成長路線に本格的に取り組むべきだ」と語っている。

 一方、タイ最大野党のタイ貢献党は、バイデン政権が「民主、自由、人権」を外交の基軸に置くことで、独裁・強権体質のプラユット政権の動揺を期待しているようだ。

 やはり中国の裏庭と化したASEAN諸国を中国から引き剥がすためにアメリカの新政権に求められる現実的な方策は、協調と忍耐を基本路線とするしかないだろう。鉄則は急がば回れ、である。

 そこで日本だが、喫緊の課題は第2次安倍政権発足に際して示された「安倍ドクトリン」の検証だろう。

 2013年初、安倍首相はヴェトナム・タイ・インドネシアを、第2次政権発足後の初の外遊先として選んだ。その際には、「開かれた、海の恵み――日本外交の新たな5原則――」と題する新たな東南アジア外交構想(「安倍ドクトリン」)を引っ提げて旅立ったはずだ。

 そこには「万古不易・未来永劫、アジアの海を徹底してオープンなものとし、自由で、平和なものとするところにあります。法の支配が貫徹する、世界・人類の公共財として、保ち続ける」ことこそが「日本の国益」であると明記され、「日本外交の地平」を拡大するための「新しい決意」を支える次の5原則が掲げられていた。

1.人類の普遍的価値である思想・表現・言論の自由の十全な実現

2.海洋における法とルールの支配の実現

3.自由でオープンな、互いに結び合った経済関係の実現

4.文化的なつながりの一層の充実

5.未来を担う世代の交流の促進

 いま8年近くに亘った安倍外交を評価する声は高い。はたして「日本外交の新たな5原則」は貫かれたのか。いまこそ冷静な検証が急がれる。

 アメリカでは政権が交代し、中国では習近平政権の“半永久化”が進む。新たな国際環境の下でASEAN諸国もまた新たな秩序を模索する。どうやら菅政権に残された外交上の選択肢はそう多くはなさそうだ。やはり急がば回れ、である。「安倍ドクトリン」の徹底検証から始めることを強く求めたい。

  
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