2024年12月23日(月)

故郷のメディアはいま

2012年8月16日

アナウンサーを目指し地元の人気者に

 そして、長浜1丁目。同地にはKBC本社がある。局アナ奥田智子(さとこ)の勤務先でもある。

 大方の読者は「智子? WHO?」と首を捻ることだろう。奥田の友人・知人には山本譲二、天童よしみ、尾形大作と歌手が多い。彼女自身も歌手を目指していた時期がある。

 彼女の祖母は、熊埜御堂禎子(くまのみどう・ていこ)といって、筝曲の世界ではよく知られており、名人といわれた宮城道雄の弟子だった。東京芸術大学を卒業した母親は、灰田勝彦に師事し歌手を目指していた。だが古典芸能を伝承する家系の壁は厚く、親に隠れて歌謡番組やノド自慢に出演するのがせいぜいだった。その母親が自らの夢を託したのが智子である。

 奥田智子は、母が願う道を着実に歩んだ。3歳でKBCホールで行われた「コマーシャルソング全国大会」に出場、毒掃丸のCMを歌って上位入賞。5歳の時には、トニー谷が司会を務めるKBC「ド素人天狗ショー」に出演。通っていた幼稚園では、山本譲二と一緒だった。小学校に入学すると、西城秀樹もデビュー前に通っていたという歌謡学院に通い始めた。だが中学生になると、歌手からアナウンサーに方向転換した。ノド自慢や歌謡大会などでインタビューを受けていて、他人に話を聞くのも面白そうだと思ったのである。念願がかない、青山学院短大卒業後、1980年KBCに入社する。

 入社後は、営業関連のイベントで司会と歌の二役をこなし、同局主催の『新人歌謡音楽祭』を務めた。番組には、彼女の知り合いである尾形大作、天童よしみ、スクールメイツなどが出場していた。

「ちょっと有名なお隣さん」

 時代が昭和から平成に切り換わると、奥田は報道・情報系の番組を担当するようになり、一方でラジオドラマやラジオドキュメンタリーを制作した。それでも彼女の少女時代を知る地元の視聴者・聴取者は、「ホントは歌手になりたかったのでは」と願望を込めて話している。

 全国的な人気を誇る芸能人も地元の人気者も、「ちょっと有名なお隣さん」。福岡には、そんな雰囲気と感覚がある。

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