2024年11月22日(金)

渡辺将人の「アメリカを読む」

2012年8月27日

 「ブッシュ減税」については党内に反発もあったものの、2期目を睨んで「戦略的にリーズナブルな妥協」という判断が当時の政権内には目立った。オバマ政権は、保守系リバタリアンがウォール街や共和党穏健派と反目しているジレンマを逆手にとって、ティーパーティ系保守派の孤立化と、共和党内部分断を誘導することに生き残りを模索した。政権関係者は次のように述べている。

 「債務上限問題が共和党にハンマーを与えた。自爆用の爆弾を抱えた相手と交渉するのは難しい。共和党のライアン予算を『メディアケアを国民から奪う案』と印象付けることには成功し、債務上限の交渉に応じない共和党に『我々のことも潰すつもりか』とビジネス界が圧力をかけたのも効果的だった。結局のところ、共和党はビジネス・コミュニティに従属的だ」

社会争点ではリベラル堅固でバランス維持

 民主党大統領の中道化といえば、クリントン政権が1994年の中間選挙敗北後に行った、「トライアンギュレーション(両党から均等に距離を置く)」がある。共和党系コンサルタントのディック・モリスの指南による中道化は、クリントン政権内のリベラル派との対立を生んだが、1996年のクリントン再選をもたらした。これに対して、オバマの「中道化」の特徴は、経済ではビジネス界に歩み寄って、社会争点ではリベラルを維持するという手法を採用して、完全な中道化を避けたことである。

 背景には、オバマ政権の生成要因が関係している。そもそもオバマは、イラク戦争に反対する民主党内のリベラル派決起による、「ヒラリー以外の誰かを」という民主党内分裂で擁立された経緯がある。オバマ政権はリベラル派無しにはこの世に誕生しなかった以上、リベラル派を切り捨てることはオバマにとって自傷行為である。ビル・クリントンはニューデモクラットという民主党の中道化運動でリーダーシップをとって台頭した。それに対してオバマは、シカゴのリベラル派に支えられ、イラク反戦演説でチャンスを掴んだ。両者はそれぞれの政治行動を縛るヒストリーが違う。逡巡したオバマ政権は、経済で部分的に中道化しつつも、社会・文化争点では、リベラルに振り切れるという「バランス」を考案した。

 中間選挙直後の2010年12月には、同性愛者と公言して軍勤務することを禁じる規則の撤廃法案が可決し、2011年9月に撤廃が実現している。また、オバマは就任後早くも2回、最高裁判事を指名する機会を迎えているが、指名したのは2人とも女性でしかも1人はヒスパニック系である。マイノリティ色を前面に押し出した人事を断行している。さらに、中間選挙の民主党敗北の責任者である党内最左派のイタリア系女性下院議長のペローシが、少数派転落後もそのまま院内総務に就任して下院を率いることもオバマ大統領は追認した。オバマ政権の財政赤字削減委員会では、議会リベラル派への配慮から、大統領指名6人に加えて、ペローシ指名枠6人を設けて、リベラル派案を代案として提出させている。


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