敵を知り己を知れば
百戦危うからず
3年目に入ると、辻口はコンクールへの挑戦を始めた。優勝することで、自分の名前を広め、出店への足がかりを作ろうと考えたからだ。毎日、明け方近くまで、コンクールに出品する作品を創作し、さらに、寝る前には必ずある写真を見ていたという。
「歴代の優勝作品を見て、パティシエがどんな意図を持っていたのか感じ取ろうとしました。それから、1位と2位の違いや、過去から今まで入賞作品がどう変化しているか、審査員はどこに主眼を置き、どんなコメントを残しているのか、これらを頭に叩きこんでから、コンクールに挑戦したんです」
辻口は、作品を創作する際、審査員の好みも考慮に入れていた。それは、消費者に受け入れられる商品を思案する、企業のマーケティングと同じ発想だ。
「コンクールは、“どうだ!オレの腕はすごいだろ!”と自分の腕をひけらかすだけでは優勝できないんです。実際にお店で販売するとき、お客様に好まれるスイーツを作らなければ売れないのと同じ。審査員にも、お客様にも、自分の考えを押し付けているだけでは、成功できないんですね」
こうして辻口は、23歳という最年少記録で全国優勝を果たす。
一度だけでは“本物”と認めてもらえない
しかし、世間の評価は厳しく、若き辻口の成果を疑いの目で見る者が多かった。業界では“辻口は誰かにアイディアを貰い、それを真似ただけだ”という噂が立ったという。
「19歳の頃から、技術や商売についてアドバイスを頂いていた方にすら“これは誰に作ってもらったの?”と聞かれました。愕然としましたね。それと同時に、二度、三度と続けて優勝してやる。それでダメなら、世界で一位を獲ってやると考えました」
フランスのコンクールで金賞を獲ったとき、ようやく“辻口は本物”と認められた。若いというだけで認められない事も多々あるが、辻口は、“オレならやれる”と自分を信じ続けて世界の頂点に立った。
「できないと思ったら、そこで終わりです。今、フェイスブックが大流行していますよね? 世の大半の人は、きっと“フェイスブックを超えるものは作れない”と思っている。でも、僕がもし、ソーシャルメディア界の人間なら、絶対追い抜こうとします。僕はパティシエの世界で、“絶対にチャンピオンになる!”と心に決めて世界一になりました。自分がこうだと思い描いた道、職種で世界一を狙い、自分を信じることで、夢は実現できるんです」
≪POINT≫
先輩や上司に認めてもらいたいとき、努力と共にもう一つ行えることがある。それが、辻口が行った『マーケティング』だ。どのような報告なら意見を聞いてもらえるか、どんなプレゼンなら納得してもらえるのか、うまくいった時のパターンを分析することで、より早く認めてもらえるだろう。
また、辻口は「お店を出して、お客様に新しいスイーツを提供することで、ライフスタイルも変化させたいという最終的な想いを持っていました。コンクールで優勝したのはその為の手段でしかありません。歴代の優勝者の中には、お店を潰してしまった方も多い。それは、“オレの作品が理解できないなんてどうかしている”という一人よがりな発想を持ってしまったからに他なりません。やはり根底には、接客の大切さや、衛生面の気配りなどを持っていなければいけません」とも語った。
『モンサンクレール』
→ http://www.ms-clair.co.jp/
『日本スイーツ協会』
→ http://www.sweets.or.jp/
(※文中敬称略)