2012年9月20日、福島県相馬郡新地町のリンゴ農園「バンビリンゴ七印園芸」の畠米七さんは、10月から販売をスタートするリンゴ(相伝ふじ)の放射能検査の結果をホームページ上に公開した。
セシウム134 0.72ベクレル(検出下限値0.35ベクレル)
セシウム137 1.45ベクレル(検出下限値0.38ベクレル)
これらの数字は、国が設ける放射性セシウムの基準値(一般食品=1キログラム当たり100ベクレル)を大幅に下回った。このときの心境を畠さんは、ツイッターにこう綴っている。
「6月初めの予備検査で、両セシウムともに5ベクレル以下でしたので、それほど心配はしていませんでしたが、裁判にかけられている気分で、やはり結果が出るまでは怖かった」
自身には何の責任もないのにもかかわらず「裁判にかけられている気分」という畠さんの気持ちは、察するに余りある。
こうして畠さんは、2012年シーズン(10~12月)のスタート地点に立つことができたのである。
「自分だけ逃げるわけにはいかなかった」
東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故が発生すると、畠さんは家族とともに、若い頃、リンゴ栽培の研修を行った長野県松本市に避難。同地には、高齢化により放棄されているリンゴ農園が多数あり、畠さんは地元農家から「いつでも貸す。移住してこい」と声を掛けられた。
「福島でリンゴを作り続けるのであれば、これまでのように『美味しいりんごを作る』ことだけに没頭できず、第一の使命が『放射能を減らす』ことになることは分かりきっていました。ですから移住するか、本当に悩みました」
畠さんは、JAなどに頼らず、農園の横にある直売所や宅配便による直販を軸にしている。お客さんの9割は、地元民(相馬市や南相馬市)である。
「長野に行ったら、9割のお客様を失うことになります。それに皆さん、原発や津波で苦しむなかで、頑張って生きようともがいている。自分だけ逃げるわけにはいかなかった。福島でやり続けるしかないと、覚悟を決めました」