2024年11月22日(金)

ベストセラーで読むアメリカ

2021年4月14日

サダム・フセインとの会話

 本書に登場するのはほんどが一兵卒であり、戦場での意外なエピソードを披露するわけではない。ただし、囚われの身となったサダム・フセインの歯を治療した、アメリカ軍の医療部隊の指揮官による思い出話は印象に残った。厳重に警護された治療室に現れたフセインはコーランを手にしていた。信心深いはずのないフセインがなぜイスラム教の経典を持ってきているのか疑問に思って聞くと、「見た感じがいいからだ」と答えたという。さらに、フセインから切り出してきた次の会話のやりとりは驚きだ。

Then he blurts out, “Do you think I killed a lot of people?”
“Yes, you did.”
He pauses for a moment.
“You're right, I did,” he says. “But if you want to control this country, you have to kill a lot of people.”
We start talking about current events. I ask him, “What's the story about weapons of mass destruction?”
“I wanted them.”
“Did you get them?”
“No.”
“So why did you kind of lead everybody on that you had weapons of mass destruction?”
“Well, that was for the Iranians. I never thought you, the Americans, would believe it.”

「そして、サダム・フセインはいきなり切り出した。
『わたしが多くの人を殺してきたと思うかね?』
『うむ、そう思うね』
 フセインはちょっと口をつぐんだ後、こう言った。
『その通りだ。しかし、この国を支配したかったら、たくさんの人を殺さなければならない』
会話は足元の出来事にも及んだ。わたしはフセインにたずねた。
『大量破壊兵器についてはどうなんだ?』
『手に入れたかったね』
『持っていたのか?』
『いいや』
『それならどうして、イラクが大量破壊兵器を持っていると、みなが思うようにしむけたんだ?』 
『それは、イランにそう思わせたかったからだ。まさか、お前らアメリカ人が信じるとは思いもしなかったよ』」

 9・11テロを受けてアメリカが対テロ戦争を旗印に、イラクが大量破壊兵器を持っている証拠を国連につきつけて、イラク戦争に強引に突入したことを思えば、この会話はかなり衝撃的だ。

 分量は少ないものの、本書は戦場で深い痛手を負った兵士も登場する。次に引用する一節は、ケガの後遺症や後悔の念に苦しむ元兵士の叫びだ。イラクで、軍のルールに従って、瀕死のけがを負っている現地の子どもを助けなかったことが今でも忘れられないという。

I'm diagnosed with PTSD, traumatic brain injury, and tinnitus. The tinnitus gets worse and worse over the years, and I've got all these unwanted memories that keep coming back to me, again and again. I made a lot of decisions as a soldier and a leader in a combat zone; how could I not revisit them?

But the decision I made that day about the Iraqi kid―that one really sticks with me. I had a fourteen-year-old kid standing in front of me, dying from a gunshot wound, his father begging me to save his son's life, and I said no and turned my back on them. I get emotional every time I think about it, and I think about it every single day.

「わたしはPTSDと診断されている。脳に外傷を負い、耳鳴りもする。耳鳴りは特に、年を追うごとにひどくなるばかりで、おまけに、思い出したくもない記憶が繰り返しよみがえってくる。戦場では、兵士として、あるいは隊長として、多くの決断をした。なんとかして、もう一度やり直せないものだろうか?

 特に、あの日、あのイラク人の子どもについて下した決断は、本当に頭から離れない。14歳の子どもがわたしの目の前に立っていて、銃で撃たれた傷で死にかけていた、父親は息子の命を助けてくれと懇願したが、わたしはダメだと言って、二人に背を向けたのだ。その時のことを考えると心が張り裂けそうだし、そのことを一日たりとも思い出さないことはない」

 しかし、こうした悲痛な述懐は本書ではあくまでも少数派だ。基本的には、国のために、自由を守るために戦ったことを誇りに思う兵士たちが、さまざまな持ち場から、軍隊で働いてよかったと語りかける。

 本書の終わり近くでは、残念ながら命を落としたり、爆弾で脚を失った兵士の話も出てくる。戦争のむごさを訴えるためではない。残された母親や、体に障碍を負った元兵士が、悲劇を乗り越え、人生の新たな目的に向けて前向きに生きていく姿を描く。陸軍に入隊して間もない若い息子を、同じ部隊内の仲間に射殺された母親の独白は胸をうつ。この母親は、自分の息子を撃ち殺した兵士が、ホームレスの家庭で育ち、教育など必要な支援を受けられなかったことを知るや行動を起こす。自分の息子の名前を冠した財団を立ち上げ、恵まれない若者たちに立派なリーダーシップを身に着けさせるプログラムを展開する。

 22歳の兵士はアフガニスタンで、即席爆弾のおかげで右脚の下半分を失った。米国本土に移送されウォルター・リード陸軍医療センターに入院する。すると、オバマ大統領(当時)が見舞いに来て勲章を授与された。ところが、病院を訪れた妻からは不倫していたことを告白され離婚する。見返してやるという思いからリハビリに励み再婚を果たすも、戦場でのトラウマから不眠の夜が続きアルコール浸りになり再び離婚に追い込まれる。そして、ピストルを口にくわえ自殺する寸前まで追い込まれる。土壇場で思いとどまり、精神科医のセラピーを受けてなんとか立ち直り、いまは自分の経験をさまざまな人に語り、逆境にある人たちを助ける活動に励んでいる。「自分の経験を話すことで、一日にひとりでも困っている人の助けになれるなら、自分がこれまで経験してきたことは価値があるんだ」と語り、どこまでも前向きだ。

 兵士になることを称賛する本がベストセラーとなるアメリカをみると、軍隊に対するサポーターの熱量の彼我の大きな差を感じる。2017年3月に本コラムで紹介したブッシュ(息子)元大統領が出版した本(『絵描きになった息子ブッシュ大統領、傷ついた軍人たちの肖像画の迫力』)も、戦地で負傷した兵士たちの勇気をたたえるベストセラーだった。こうした本でも出して兵士たちを英雄視する風潮を生み出さないと軍隊を維持するのは難しいということなのだろうか。そこまでやる必要のない日本はやはり平和で恵まれているのかもしれない。

  
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