1960年代以降の民主党は、公民権運動、反戦運動、フェミニズム運動に加え、ニューポリティクスと呼ばれる高学歴層による環境保護運動、消費者運動などが優位に立つ政党に変容してしまった。しかし、過度な左傾化は社会の主流に受け入れられず、民主党は1980年から3回連続で大統領選に敗北した。
経済と福祉の行き詰まりが経済成長を鈍らせ、インフレ率と失業率を上昇させ、かえって「レーガン革命」による保守主義を勢いづかせた。民主党はリベラリズムの修正を余儀なくされ、経済成長と国際的競争力を重視するニューデモクラットが台頭したのだった。
その政策的哲学は「第三の道」と称された。クリントン政権は、旧来のリベラリズムを修正して「大きな政府ではないが積極的に機能する政府」を訴え、再分配から経済成長への優先の転換、財政規律の回復、国際競争力増大への自由貿易推進、特定の産業を振興する政策などを強調した。
政策の成果として、同政権中に、労組や環境団体が反対していた北米自由貿易協定(NAFTA)を1994年に発効させたほか、1996年の福祉改革法では要扶養児童のいる家庭への扶助給付制限にまで踏み込んでいる。緊縮財政で規制緩和による経済の安定成長で税の増収を実現。1998年に財政収支の黒字転換をはたしたのがクリントン政権のレガシーであり、イギリスのトニー・ブレア労働党政権にも影響を与えた。
民主党指導者会議(DLC)が、西部や南部の議員や州知事など43名の民主党政治家が参加する形で立ち上がり、リチャード・ゲッパート、サム・ナン、ビル・クリントンらが議長を歴任した。しかし、2000年大統領選挙でゴアが敗北してから、ニューデモクラットの影響力は下降線を辿り始める。さらに、2005年にディーンが民主党全国委員会の委員長に、2007年にペローシが下院議長にと相次いで党内リベラル派が要職に就いたことで、ニューデモクラット運動は民主党内で衰退を余儀なくされた。2004年大統領選挙では、安全保障に強い民主党を打ち出してイラク戦争を擁護したことで、リベラル派との亀裂も深刻化した。2008年のオバマの「チェンジ」そのものが、成長第一でビジネス優遇の中道的なクリントン路線との決別宣言でもあった。
ニューデモクラット派有力者による
オバマ陣営への苦言
ニューデモクラットは今、オバマの再選選挙をどう見ているのか。1996年に政治活動委員会(PAC)のニュー・デモクラティック・ネットワークとして誕生し、その後、NDNに名称変更した民主党系シンクタンクがワシントンにある。会長はかつて1992年にクリントン選対本部でクリントン当選を支えたサイモン・ローゼンバーグである。ローゼンバーグを訪れた筆者は、「自分がオバマ陣営の選対顧問だったら、どうするか」という難しい質問を投げかけた。