そんな中国を立て直したのは、計画経済による統制に若干の市場経済的要素を結びつけた劉少奇・鄧小平らであった。人々のやる気は、集団化とは逆の方向で発揮され、計画経済を担う党官僚の権力が肥大化した。毛は「平等と協力のユートピア」が遠ざかったと考え、「特権階級化した党官僚と、その背後にある旧い思想の残りかすを叩き、真に人民大衆的な価値観を打ち立てる」と称した。
以上が、プロレタリアート=無産階級による文化大革命のあらましである。毛沢東に刺激された紅衛兵の若者や大衆は、勝手に毛沢東の真意を推し量って既存の価値観をことごとく暴力的に否定し、中国の社会と文化に凄まじい傷跡を残した。
黄色い大地の文明に責任を負う習近平
習近平自身は恐らく、文革と同じ事態が中国で再現されることを望まない。人民大衆の側に「革命的に」価値判断を丸投げして底なしの混乱が生じた文革の轍を踏めば、中国の「発展」が阻害され、再び貧困に陥り、中共は支配の正当性を失う。
習近平の政治は、その可能性を深く警戒する立場から、中国の主流な社会の価値観に照らして概ね「正しい」見方を大音量で提供し、異論が生じる可能性をなるべく周到に摘み取ろうとする点に特徴がある。
このような政治の背後にあるのは、習近平をはじめ今の中共の政策決定に関わる60代の人生経験であろう。この世代は、文革に同時代人として巻き込まれ、若さゆえに翻弄された。
習は文革で失脚した革命元老・習仲勲の息子であり、父親に連座して北京のエリート中学校を追われ、陝西省の貧しい黄土高原の村で苦痛に満ちた十代を過ごした。そんな習や同世代の中共のエリートにとって、文革は彼らからまともな教育の機会を奪い、中国の「発展」に必要な知識の普及を妨げた災厄でしかない。
それでも習は、逆境にめげずに働いて村人からの信頼を勝ち取り、入党と北京大学への推薦も得た。より良き未来を夢見て奮闘する自分自身を信じることは、困窮の中で青春を過ごした同時代の中国の人々にとって共通の思いであろう。