そんな習が奮闘した黄土高原の大地は、海から遠く貧しいものの、かつて中国文明の揺籃であった(中国民族の始祖とされる黄帝の陵がある)。黄色い大地から生まれた文明に再び豊かさをもたらすことは、中国人の夢であり幸福でもある。
また中共は1930〜40年代、黄土高原の延安を根拠地として苦難の中で抗日し、その後の運命を切り開いた。何と言っても、習近平の父・習仲勲は、黄土色の陝西省に生まれて革命元老として名を成した。
このようにみると、中国文明・中共・父と自分の運命を三位一体としてとらえ、智慧と努力で奮闘し、困難を実りに変えることこそ習近平のメンタリティであり、習近平が全ての中国の人々に推奨する人生観であろう。(興味を持たれた方には、加藤隆則氏の『習近平の政治思想 「紅」と「黄」の正統』勉誠出版刊をお薦めする)
「中国夢」と「外」とのせめぎ合いとしての新疆・香港問題
その姿はまた、改革開放中国の姿そのものでもある。習のみるところ、個々の中国人の前向きな奮闘=「正能量(プラスのエネルギー)」が中国を豊かにし、中国の国際的な地位を大いに向上させた。その核にあるのは、「中国の特色ある社会主義」によって時代に適応し、中国の伝統と新たな事物を集大成した中共であり、そんな「発展」の経験を凝縮した「中国の智慧」こそ尊い(外国や香港・台湾からの投資や技術供与が極めて重要だった事実は脇に置かれる)。今後さらに中国が「発展」して世界を導く「中国夢」を誰もが感じるためには、「社会の安定」こそ大前提である。
しかし足元を見渡せば、「先富論」のもとで凄まじい格差が生じた結果、「公」の精神で共に豊かになるという中共の建党精神は霞んだ。腐敗した党官僚や一部の成金に対する人々の反発は根深い。激変する中国社会に疲れて奮闘することをやめた「寝そべり族」も現れている。いずれにしても、対応を誤れば中国社会は空回りして不安定化し、中共の主張の信憑性は吹き飛ぶ。
一方、対外開放により外界との往来が活発化し、それが「一帯一路」として実を結ぶ中、習からみて全ての中国人民は「中国の智慧」とともに世界へ飛躍する中国への自信を抱くべきであった。しかし中国では近年、チベット、新疆ウイグル、香港など、「国家の統一」をめぐる問題が頻出している。黄土高原での苦闘から人生形成をした習には、自らと改革開放中国が歩んできた奮闘と「発展」の成果に関心が薄く、さらには背を向ける人々がいること自体が信じられない。
そこで習は部下の、16年8月にチベット自治区から新疆ウイグル自治区の党委員会書記に転任した陳全国を使って、新疆でAI・ITを駆使して人々をふるいにかけ、心が「中国化」しておらず、「外」のイスラム的価値観や少数民族の独自性に向かう人々を強制収容所に送り、彼らの思想を徹頭徹尾「中国化」することで「社会の安定」を実現すると宣伝している。また習は香港についても、法の支配や自由を掲げて香港社会の自律性・独自性を保とうとする人々を、心が「外」とつながって西側の介入を招き入れるものと見なし、香港国家安全法の名において遡及法的に罰することで、国際都市香港を萎縮させている。