2024年11月22日(金)

復活のキーワード

2013年1月17日

 だが、この件に詳しい政府幹部は「何もしないで法律を廃止すれば、5万社が潰れる。それでは政治がもたない」と語る。そこで、銀行では融資を続けられない中小企業に「官民ファンド」が出資しよう、ということのようだ。

 政府出資は元をただせば国民のおカネである。「ファンド」を通すとはいえ、特定の民間企業に国民のおカネをつぎ込むのは本来、政府には許されないことだろう。百歩譲って民間企業に出資したり補助金を支給したりするには、それを上回る国民全体の利益が見込めるのが建前だ。

 だが、国と投資先企業の間に「ファンド」が介在することで、国会のチェックは及びにくくなり、出資先企業の審査が野放図になる心配もある。そもそも官業がうまくいかないのは、新銀行東京の例を引くまでもなく、過去の歴史が証明している。

 問題はなぜ、国がそこまで企業活動に踏み込まざるを得ないのか、である。前月号のこのコラムでも取り上げたように、企業の手元資金は積み上がる一方で、新たな投資に資金が回らない。経営者がリスクを取って新規投資に踏み出さなくなっているためだ。

 政府・日銀は景気浮揚に向けて、一層の金融緩和を進める姿勢を示している。もっとも、政府・日銀の懸念は、金融を緩和しても、将来の成長が期待できる分野の企業に資金が流れないのではないか、ということだ。相次ぐ官民ファンド設立の大義名分はこれだ。

 だが、本来、成長分野を探し出し、そこに資金を投じていくのは民間企業や、民間の投資ファンドの役割だろう。自らは手元に資金を残し、リスクは政府出資という名の国民のおカネに負わせるとしたら、企業は自らの役割を放棄しているということになりかねない。しかも、経営の指南まで霞が関の官僚たちに受けるとは、日本の経営者も落ちぶれたものである。

◆WEDGE2013年1月号より

 

 

 

 

 

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