2022年12月6日(火)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2022年2月2日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

 毛沢東が「超英赶美」を掲げてから半世紀ほどが過ぎた2010年、中国は国内総生産(GDP)で日本を追い越し、世界第2位の経済大国に躍り出た。形を変えた「超英」の達成だろう。

 「三つ子の魂百までも」が真実なら、かつて毛沢東を神と崇め育った子どもたちが次なる目標の「赶美」に向かって突き進むことになる。対外開放によって豊かさを増したことが、それを可能にしたのではないか。

経済は拡大傾向を維持し続ける

 1970年代末期に鄧小平が掲げた経済最優先の対外開放政策が一定の軌道を走り始めるや、中国の内外で「21世紀の早い段階で米国経済を凌駕する」との超楽観論が熱く語られるようになる。一方で、独裁権力下の市場経済の限界、あるいは先行き不安を指摘する声も説かれていた。

 その後、成長率に変動はあるものの、中国経済のパイは拡大を続けた。購買力平均指数で見るなら、2017年段階で米国の経済規模を超えたとの見解すら聞かれる。これが正しいなら、すでに習政権は任期1期目の最後の年に「赶美」を達成していたと見なすことも可能となる。

 対外開放政策以来の中国経済関連報道を振り返るに、我が国では「バラ色の中国経済」が盛ん報じられる一方で、「バブル経済破綻必至」「中国経済崩壊前夜」「不動産バブル破裂寸前」といった類の論調も一貫して説かれてきた。だが、政治的意図・思惑を極力排した報道を長期に、しかも冷静に捉えてみるなら、時に変調はみられるものの、中国経済は質的にも量的にも大枠で拡大傾向を維持している。

 さらに1957年の反右派闘争の苦痛に耐え、大躍進政策がもたらした大飢餓・大量餓死の地獄絵図を潜り抜け、「10年の大後退」と酷評される文化大革命(1966~76年)の大混乱を乗り越えた中国社会の持つ一種の〝復元力〟には、やはり最大限の関心を持っておくべきだろう。

 我が国の言論空間においては、中国に対する悲観的・否定的な見方を受け入れ易い土壌が一定の割合で存在していることは事実だ。だが一時の好悪の感情に判断を委ねることは厳に慎まなければならない。巨大な権力を巡っての激しい権力闘争は日常茶飯の国であればこそ、政治的リスクに対する細心の注意を払うことは当然ではあるが。

「歴史決議」と対外路線

 ここで昨年末の六中全会で採決された「歴史決議」に話題を転じてみたい。

 この「歴史決議」を巡っては、習近平一強体制を100年の共産党史に沿って正当に位置づけたとの公式的評価が見られる一方で、毛沢東や鄧小平と比べて習近平の権力基盤は脆弱だ。権威は張りボテ状態だ、との分析も聞かれた。

 共産党の歴史を振り返ってみると、過去に2度の「歴史決議」が行われている。

 最初に見られた45年の「歴史決議」では、21年の建党以来の全功績が毛沢東に収斂された。革命の成果の一切が毛沢東個人に絡め取られてしまったことを意味する。その結果、毛沢東の絶対無謬性が全土に浸透し、神格化が始まり、57年の反右派闘争から大躍進を経て文化大革命へと突き進んだことで、亡国一歩手前にまで立ち至ったわけだ。

 81年に決議された2回目の「歴史決議」は毛沢東の生涯を「功が7分に過ちが3分」と定めることで、毛沢東(=共産党)の全否定を巧妙に回避しながら、文革を強引に総括したと言える。

 このように共産党(=毛沢東)の権威を毀損させることを避ける一方で、「最高実力者」と位置づけられた鄧小平による一強体制が確立し、対外開放路線に大きく舵を切り、経済大国への道を驀進(ばくしん)したのである。その結果、国際貿易機関(WTO)加盟(2001年)、北京夏季オリンピック(08年)、上海万博(10年)と、国際社会において中国がハデなパフォーマンスを繰り広げるようになった。

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