2024年11月21日(木)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2022年2月2日

 冬季北京オリンピックは2月4日に開幕される。ウクライナをめぐる緊迫した国際情勢はもちろんだが、広大な国土の東西――台湾と新疆ウイグル自治区――に国際紛争への火種を抱えている。そのうえに国内にも多種多様な問題を抱えているだけに、中国としても2008年の北京オリンピックと同列に位置づけているわけではないだろう。

(AP/アフロ)

 国際オリンピック委員会(IOC)の強欲幹部を巻き込んで大成功を強引に仕立て上げようとしている姿からは、習近平政権が今、オリンピックで「赶美(がんめい)」――米国に追い付き、追い越せ――の姿勢を内外に向けて強力にアピールし、政権3期目への基盤固めの絶好機と捉えているとしか思えない。

 米国のバイデン政権は、先手を打って「外交的ボイコット」というカードを切った。だが、日本をはじめ西側諸国政府は必ずしも共同歩調を打ち出しているわけではない。フランスのマクロン大統領に至っては「外交的ボイコットの効果は小さい」とまで語っているほどであり、バイデン政権の試みが奏功しているとは言い難い。であるなら習近平政権の狙う「赶美」は、緒戦ではまずまずの成功を収めたことになる。

受け継がれている毛沢東の目標

 「赶美」を掲げたのは毛沢東だった。1958年、毛沢東は中国式社会主義の優位性を内外に見せつけようと大躍進政策を打ち出し、「赶美」の上に「超英」を冠した「超英赶美」のスローガンを掲げ、国民を煽り、鉄鋼と農産物の大増産運動に駆り立てた。鉄鋼生産量を経済力と見なしていたとされる毛沢東は、鉄鋼生産世界第2位の「英(イギリス)」を「超」えて超大国米国に追い付き、追い越すことを狙った。

 かくして全国民は文字通り寝食を忘れ「超英赶美」の道を突き進んだわけだが、結果として全土は飢餓地獄に突き落とされ、苦境脱出のための方策が共産党首脳間にさまざまな軋轢と暗闘を引き起こし、文化大革命発動への底流になったことは敢えて詳説するまでもないだろう。

 これは、彼我を取り囲む客観状況を無視した強権政治の悲惨な結末だったはずである。だが、習近平政権はそうとは捉えていないらしい。

 ここで思い起こすのが、50年代後半である。早くも当時の子どもたちは、毛沢東は両親を超えた尊敬すべき対象として教え込まれていた。53年生まれの習近平国家主席も、この世代である。

 彼らが物心つく以前、すでに毛沢東は絶対無謬の神の存在に近づいていた。「真っ白な紙には何でも描ける」と説いた毛沢東であればこそ、幼い子どもの真っ白な頭の中に「超英赶美」という「中国の夢」が描かれていたとしても強ち不思議ではない。


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