同日、習近平の最側近の1人で理論面を支える王滬寧党中央委員会常務委員は「華国鋒生誕百周年記念座談会」に出席し、党中央(=習総書記)を代表し、華国鋒を評価する講話を行っている。華国鋒の失脚を仕掛けた張本人が鄧小平だったと言われるだけに、王講話に滲む鄧小平批判の色合いは、そのまま習総書記の意思と見なすことも可能だろう。
どうやら3回目の「歴史決議」は、2021年2月20日の2つの集会が〝伏線〟となっていたようだ。
「共同富裕」に見える毛沢東と鄧小平の影
昨年7月1日の建党百周年を機に習近平政権が打ち出した「共同富裕」を、「貧しきも、等しからざるも、共に憂う」と言い換えたとするなら、あたかもそれは毛沢東と鄧小平の政治を足して2で割ったようにも考えられる。
毛沢東が国民に強く求めた「自力更生」「為人民服務」は「貧しきを憂えず、等しからざるを憂う」と、鄧小平が国民に指し示した「先富論」は「貧しきを憂い、等しからざるを憂えず」と読み取ることも可能だろう。「貧乏でもいい。だが不平等はダメだ」を説く毛沢東に対し、鄧小平の主張は「ともかくも貧乏はダメだ。格差・不平等があったにせよ、かまわない。誰でも我先に豊かさを目指せ」に近い。
「共同富裕」に対する批判は当然のように聞かれる。だが、古来中国人が追い求めた儒教的ユートピアの「大同社会」をイメージさせる側面を秘めていると考えるなら、「中華民族の偉大な復興」「中国の夢」と意外に平仄が合うようにも思えてくるから不思議だ。
今回の五輪に凝縮される習政権のこれから
冬期北京オリンピックの成否こそ、習近平政権3期目への基盤固めのカギになることは誰の目にも明らかだ。かくて大成功を引っ提げて、秋の第20回共産党大会を経て習近平政権の3期目に雪崩れ込むというのが既定路線だろう。
だが現在までみられる習近平政治の姿から判断するなら、「赶美」の先に「巨大な夜郎自大国」――敢えて形容するなら「豊かで巨大な北朝鮮」への道を歩む可能性も考えられる。おそらく今回の冬期オリンピックに凝縮される習近平政権の姿に、政権3期目以降の振る舞いが映し出されるに違いない。
それにしても中国が「毛沢東の軛」から脱する時は来るのだろうか。