2022年12月8日(木)

スポーツ名著から読む現代史

2022年2月12日

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中島章隆 (なかじま・ふみたか)

元毎日新聞運動部長・論説委員

なかじま・ふみたか 1952年長野県生まれ。元毎日新聞運動部長・論説委員。現在は立教大講師、東京プロ野球記者OBクラブ理事。月刊政策情報誌「毎日フォーラム」で2009年から「スポーツを読む」を連載している。

現代の監督にはファンサービスも求められるが……

 野村が理想とする「監督像」に迫ってみよう。野村は監督の「器」について8個の要素を列記している。「信頼」「人望」「度量」「貫禄」「威厳」「表現力」「判断力」「決断力」の八つだ。野村自身については、すべてを兼ね備えていると認識しているわけではない。たとえば「人望」。<どうも私にはこれが欠けているようだ>(『あぁ、監督』角川書店、09年、30頁)と率直に書いている。

 「貫禄」「威厳」については<いまの監督たちにもっとも欠けているものだろう>としたうえで、藤本定義、鶴岡一人、三原脩、川上哲治、西本幸雄といった大御所の名前を列記し、<みな誰が見ても「名将」らしい雰囲気を感じさせたものだ。対していまの監督の、なんと軽く、安っぽいものか。見た目もそうだが、精神的にも選手と同じレベルで一喜一憂している。あくまでも個人的意見だが、監督たる者は選手と同レベルで喜怒哀楽を表現すべきではないと思う>(同書33~34頁)と一刀両断にした。

 野村が名前を列記した「大監督」の時代と今日では、プロ野球を取り巻く環境が大きく変わった。かつてはプロ野球が日本国内のスポーツの王様だった。その後、プロ野球の地位は転落の一途をたどっている。

 トップ選手は次々と大リーグに挑戦し、国内ではサッカーなど他の人気スポーツが若者の心をとらえるようになった。そんな時代だけに、野村は、プロ野球監督に必要な条件として「ファンサービスの重要性」も説いている。

 <私は連日メディアに向かってぼやいている。これは、メディアを通して選手たちに考えさせたり、発奮させたりするという私の選手操縦法のひとつでもあるが、それが監督のメディアとファンに対するサービスであり、仕事のひとつでもあると考えているからだ。やはりプロ野球は人気商売。となれば、監督はメディアやファンの関心をチームに向けさせ、人気を高める努力をしなければならない>(同書49頁)

監督は自らが主役になってはいけない

 ファンの関心をチームに向けさせるという面では、ビッグボス新庄は、野村の教えを最大限まで引き出したようにも思えるが、野村は球団フロントにこんな注文を付けている。

 <プロ野球は人気商売である。選手は無論、指揮官である監督も昨今、観客動員の減少を回復させる一環からか、「人気」と「タレント性」、または「派閥」から派生するオーナーや球団との「人脈」を重視した起用が見受けられるようになった。これは球界の人材難を象徴する根本問題だ。その人物の能力や野球観、実績の評価が、二の次になってはいないか>(『監督の器』イースト新書、13年、3頁)

 「昨今の」と書いている割に、南海(現ソフトバンク)時代の派閥抗争なども連想させ、オールドファンしか理解できない部分もあるが、「人材難」への野村の憂いは深い。では、「タレント監督」はなぜいけないのか。野村は五つの理由を挙げている。

①  選手時代の名声が高いあまり、監督としての実績がゼロであるにもかかわらず、自分ならできると思ってしまう。

② とりわけ名選手であった場合は、自分のレベルを基準において選手を見てしまいがち。したがって、並の選手の心情を理解できず、技術指導においてもなぜ自分と同じことができないのかと思い、結論が早く愛情を伝えられない。

③ 主役願望が強いので、試合でも自分が目立とうと思い、つい動きすぎる。

④ 現役時代は自分中心でプレーしていたので、相手の立場で考えられない。そのため、相手の嫌がること、作戦が読めないし、読もうともしない。勝負の本質を知らない。

⑤ 多くは天性だけでプレーできたので、データや情報を活用する術を知らないだけでなく、軽視する。(『あぁ、監督』99~100頁)

 ②や⑤は多分にセ・リーグの某人気球団のヒマワリ監督を意識した基準のように映るが、野村が言いたいのは、監督という職業は選手時代の栄光だけでつとまるわけではないということだろう。とりわけ自分のように「弱小球団を率いた場合」はなおさらだ。

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