日本で重大な事故を防げなかった原因が、形式的な規制当局の規制活動と規制当局からの指摘をできるだけ免れようとすることに専念する事業者の行動パターンとの組み合わせにあったことを忘れてはならない。実は今こそ、こうした関係を断ち切るチャンスだ。規制当局は最低基準としての安全基準を策定することに止め、事業者がそれをクリアしたうえで自主的・自律的に、世界最高水準の安全性確保のためのハード・ソフトの両面での工夫を凝らしていくという関係を築くべきなのだ。実は、田中委員長自身もそうした立場を表明してきている。
ただ、結果として「やはり認可事業者は信頼できない、規制当局自らが基準適合検査をさらに強化すべきだ」という風潮が強くなってきかねないのが日本の風土である。しかし、そうなってしまえば規制の実効性は失われ、形式的な適合性だけが重視される規制活動に戻ってしまい、本質的な原子力の安全性確保がないがしろにされかねない。それでは、元の木阿弥である。一方、原子力事業者側も、自律的な努力による安全性向上が実現するような工夫を、自らの社内組織ガバナンスや人事評価システムに埋め込む事が必要だ。
原子力に対する信頼回復は、政権交代によってもたらされるものではない。それは、福島第一原発事故の反省に基づく原子力安全性向上に関する関係者の真摯な努力によってのみ可能となる。事業者は、「規制を遵守すればそれで十分」という意識からどう脱却するかに真剣に取り組まなければならない。そうした意識は、政府や規制当局への甘えの裏返しだ。また規制委は、羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹いてはならない。そのような規制活動を志向すれば、結局ゼロリスクの罠に嵌まるか、事業者を叩けばいいという政治的な規制機関になってしまいかねない。
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