知性の成熟からの進化
また成人発達理論は、知性の成熟とともに、環境適応型知性、自己主導型知性、と進化していくことを説く。チームや組織に合わせるだけだった自分から、キチンと自分なりの考え方を持って動けるリーダーになっていくということだ。
これを如実に示すのが、168話からの「桐木」にフォーカスが当たるシーンだ。プライドの高い、絶対エースだった桐木は、アシトたち1年生をバカにし、切り捨てていた。そのため、あくまで周囲を使わず自分で点を取ろうと固執するが、監督から「エゴの形を変えられるか?」と、問われる。最終的に桐木は、周囲を見渡して、こいつらはできるじゃないか! と理解し、「その上で」さらにエゴを貫き通す。
172話、「これが俺なんで」というセリフに如実に表れているが、仲間を活用した上での決勝点を取るのだ。
監督は「仲間の気持ちを汲み、理解し、その上に乗せられてこそ洗練されたエゴイストになれる」と述べている。
このようにキチンと自分の考え方を客観視して理解した上で、「その上で」あくまで自分はこうだと規定できるのが、自己主導型知性たる、リーダーシップを取れる人間の感覚なのだ。
なお、自己主導型知性の先には、自己変容型知性という段階がある。新たな視点を常に柔軟に取り入れられ続けることで、人にも視点を与えて変容させていける人間だ。相互に成長を促せるため、「相互発達型知性」とも呼ぶ。
まさに106話で、監督が述べるように「選手たちは未熟だ。そして、俺たちも未熟だ」となり、この段階に至ると、教える相手からも常に学ぶことをし続けられるのだ。子育てから親が学べるのも同じことだ。このようにして、単なるスキルや知識を身につけるのでない「水平的成長」でなく、多様なレンズを身につけて自己変容していく「垂直的成長」を説いているのが成人発達理論であり、本作品でもある。
これは昔ながらの、努力して強くなって相手を倒して、というストレートな少年漫画にはなかった点であり、旧来の少年漫画とは一線を画しているといえる。
新たな視点を身につけて、知性を成熟させていくことは、自己否定であり、新たな視点での苦労をするということだ。だから、決して成熟は一概に良いものではない。辛いこともたくさんあるだろう。ただし少なくとも世界が広がり、多様な視点で物事が見ることができて、日々新鮮な驚きに包まれていくことは、人生の醍醐味として非常に良いのではと考える。人生はそれそのものが苦労だが、だからこそ自分だけの劇的なドラマが体験できる。
このようなことを物語を通して教えてくれる本「アオアシ」、この上なくオススメの作品だ。