MANGAの道は世界に通ず

2021年10月17日

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保手濱彰人 (ほてはま・あきひと)

1984年生まれ。東京大学工学部中退。在学中に企業するなどして2014年に株式会社ダブルエルを創業。現在は日本のポップカルチャーコンテンツの国際展開を図ることに注力している。

 本連載の第1回では、『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴、集英社)における私見を述べた。特に、私は柱たちを中心としたキャラクターが大好きになってしまったので、無限列車編の映画で煉獄さんが縦横無尽に動き回っているのを観るだけで大変嬉しかったし、最終23巻と同時に発売された、「外伝」で柱たちの過去エピソードが見れるだけで感慨がひとしおだ。

 実はこれは、ヒットする漫画編集者が口を揃えていうことだが、漫画において一番重要なのは「キャラ立ち」。キャラクターを好きになってもらえれば、その後はそのキャラがどう動くか、何を話すか、どうなっていくかを見るだけで楽しくて仕方がない。なので、ストーリーももちろん大事なのだが、とにかく重要なのは主要人物たちを好きにさせることだ、というエッセンスがある。これは、最愛の自分の子供であれば、一挙手一投足を見ているだけで幸せになるのと同じ話といえる。

 さて、そんな「好き」という話だが、現代人のモチベーションを読み解くのに非常に重要である。以前、「縛られていない現代の若者・ミレニアル世代は非常に自然体である」と述べたが、その結果、この世代は物凄く自由を謳歌しており、既存の価値観に縛られず、純粋に好きなものを楽しんでいる。だから、オタク的な動きをする人は非常に増えたし、「好き」を追求する度合いが、以前の世代よりも高まっている。

 彼らは純粋無垢なままで育っているがゆえ、人が元々持っていた、自然体な感覚が身についている。つまり、友達や周囲の友人たちをとても大事にするのだ。これが、『鬼滅の刃』の炭治郎に表れている。そして今回紹介する、『鬼滅』の次の、ネクストビッグヒットと言われる『呪術廻戦』(芥見下々、集英社)にも表れている。

『呪術廻戦』

 『呪術廻戦』の主人公、虎杖悠仁は、ごく普通の高校生(といっても身体能力が異常に高いなどの特徴はある)だが、特段のモチベーションがあるわけでもなく、でも自分が放っておいたらたくさんの人が死ぬよね、というところから、ごく自然と、「生き様を貫きたいから」という理由で人助けをしていく。そこに、強い動機は必要ないのだ。人として当然。亡くなったおじいちゃんに言われたからそうする。そうしなければ自分が後悔する。そのような自然なモチベーションに導かれて、自らの行動が決定されていく。このように、自然とそうしたい=「好き」と思えるものができたら、彼らは純粋にそれに従っていく。

 そして、いったん好きになったら、彼らはとことんそれを追求する。「沼」という単語が出てきているのもそうだ。「〜〜沼にハマる」という言い方をする。

 普段は自然体でこだわりがない分、いざ好きなことができて、応援しているものがあれば、それに対してはとことん自己犠牲をするのだ。抑圧的な、絶対にこれに従いなさい!というものへの忠誠は誓わないが、自分が見出した、確実な好きへの自己犠牲をとことん行う。まさに、現代の若者の特徴その2といえるだろう。

 本作品が秀逸なのは、同じ構造を敵である「呪い」側にも構築している点だ。敵側が絶対的な悪役でなく、「敵には敵の正義がある」という構造から物語に深みを与えた作品としては、古くは初代の『機動戦士ガンダム』から始まり、『銀河英雄伝説』などに受け継がれていったわけだが、本作品は一味違う。あくまで双方の「正義」のような、志や信念といった論理ではなく、純粋な「これが好き」という感情に起因しているという点だ。

 これが示されるのが、4巻31話での「俺たちが全滅しても、宿儺さえ復活すれば呪いの時代がくる」、32話での「100年後の荒野で笑うのは儂である必要はない。呪いが人として立っていればそれでいい」といった呪い側のセリフだ。いわゆる自己中心的な信念を持つ悪役であれば、このように自己犠牲を掲げてまで目的達成しようとはなりにくい。対してここで見られる自己犠牲は、いわば母親が子を慈しみ、子のために迷いなく自分の命を差し出すという感覚だ。そこに迷いはない。古く、「お国のために」と命を捧げる特攻隊は、少なからず出立時に迷いや悩みがあった。それは純粋な「こうありたい」という好きの感情ではなく、「こうあらねばならない」という理屈ベースでの信念であったからだ。

 本作品では、敵側にもこのような純粋な「好き」があることで、読者に今までに無い不思議な読後感や、ある種の違和感を与えて進行する。これが最高潮に達するのが、最終的に15巻126話での呪いの言葉である。「これはな、戦争なんだよ! 間違いを正す戦いじゃねえ! 正しさの押しつけ合いさ、ペラッペラの正義のな!」このようにして、甘さを突きつけられ挫折した主人公が、それすらを乗り越えて、清濁合わせ飲み、改めて自分の「好き」を追求していこうと決意するのが127話。非常に秀逸な物語構造であるといえる。

 マネジメントに置き換えると、この組織ではそれが当たり前だからといって、意味を見出せないことに労働奉仕することは絶対にしない。でも、自分が自然と思える、人のために自己犠牲をするのは当然に行ってくれる。好きなアイドルのために何十枚とCDを買ってしまう姿勢などに、典型的に表れているだろう。

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