2022年12月6日(火)

ザ・ジャパニーズ3.0(昭和、平成、令和) ~今の日本人に必要なアップデート~

2022年3月27日

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桂木麻也 (かつらぎ・まや)

インベストメントバンカー

カリフォルニア大学卒業・内外の投資銀行に20年超の勤務経験を有する。クロスボーダーのM&Aに造詣が深い。著書に『ASEAN企業地図』(翔泳社)、『「選択肢」を持って「人生を経営」する』(ウェッジ)。

夢がキャリアプランに変わる

 しかし、幼い頃はサッカー選手やアイドルなどと言っていても許されるが、高校生にもなって同じことを言っていると、よほどの才能が顕在化していない限り、「いつまで夢みたいなことを言っているんだ!真面目に考えろ!!」と叱られてしまう。将来の夢は何かと聞かれてその通りに答えると、「夢を見るな、現実を直視しろ」と詰められるのである。結局将来の夢とは、「何によって経済的自立を果たすのか」という目標、つまりキャリアプランに変わってしまうということだ。

 だから子ども達は、自らの才能のポテンシャルと向き合い、かつて見た無数の夢と訣別していく。多くの人にとって、幼い頃の夢は叶わないことが多いのはこのためである。しかし夢をひとつひとつあきらめる代わりに、やりがいや社会的責任を追求しながら職業を選択し、生涯続く社会での居場所を見つけようとするのである。

 一方、職業を決めるということは、それによる収入が決まるということであり、ライフプランに対する予算制約ができるということである。お気づきと思うが、ライフプランとはお金を使う側の夢だ。家族構成、学歴の設計、住む場所や家の大きさ、車など動産の所有、余暇の過ごし方など、生きるとはお金を使うことと同義なのだ。

 そしてライフプランとは人生そのものだ。だから本来は、子どもの成長と共にその子にライフプランをしっかり育ませ、それを実現するためにどうしたら良いかを考えさせ、そしてその上でキャリアプランを検討させるべきなのだと思う。キャリアはライフの一つのパーツでしかない。非常に重要なパーツではあるが、それを成就することのみに重きを置きすぎ、結果としてキャリアの予算制約にライフを従属させると、ライフプランが本当にただの夢で終わってしまう可能性があるのだ。

夢の実現に関する教育

 ところで、夢とその実現に関する教育はどうなっているだろうか。当然、学校のプログラムに「夢科」はない。進路指導や就職指導という名のもと、職業に関する夢が多少ケアされる程度である。実際、ライフプラン上の夢は非常にパーソナルなものであり、よほど公序良俗に反するものでない限り、それらに対する良し悪しの価値判断を与えられないし、それらの実現に向けてのプロセスを標準化することもできない。つまり教科書にできないということだ。だからどのような夢を抱き、それをどう実現していくかについては、家庭でしか教えられないということになる。

 それでは夢の実現について、あなたは親からどのような教えを得たであろうか? またあなたにお子さんがいる場合、何を教えているだろうか? ライフプランを実現したかったら、よい就職をしろ、つまり給与の高い大企業を目指せ。そのためには偏差値の高い大学に入学しろ。つまり受験における勝者になれというのが、夢の実現に向けての多くの日本人のアプローチなのではないだろうか。だからこそ、苛烈な受験が日本に根付いてきたし、ライフプランをキャリアプランに従属させてしまっても誰も何とも思わないのでいるのである。

 そして、かつてはそれで良かったのであろう。なぜならば、経済は成長し、常に明日は今日より豊かになる時代であったのだから。受験とその延長としての就職の過程で、「勝者」・「敗者」の差はあったのかもしれない。しかし時間の経過とともに豊かになる社会では、誰もがライフプランを大なり小なり実現できたのである。

 一方、平成の30年間と足元の令和において、収入は増えず、その結果として実現しないライフプランが積み上がってきた。「こんなはずではないぞ、おかしいぞ」と思いながらも、「これは一過性だ、またもとのように豊かになるさ」とたかをくくっていたともいえる。だが足元でいよいよ貧しくなる実感が募る中、時間の経過がライフプランの実現を後押ししてくれないのは明白だ。むしろ、時間の経過がライフプランの実現を阻害さえする。

 夢が実現できないと誰もが思う社会は活力がなく、停滞し、そして衰退する。冒頭のグラフは日本の衰退を暗示している。衰退した社会では、決して叶うことがないとして、夢を見ることさえしなくなってしまうだろう。日本をそんな社会にしてはいけない。そして衰退の入り口に立っているのであれば、今こそ夢の教育をしっかり行わなくてはならないと思う。

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