2024年11月22日(金)

ザ・ジャパニーズ3.0(昭和、平成、令和) ~今の日本人に必要なアップデート~

2022年2月3日

 今年も受験シーズンが始まった。1月15・16日の大学入学共通テストを皮切りに、中学、高校、私大、国公立大2次試験と3月の上旬まで試験期間は続く。勉強の追い込みに加え、オミクロン株の感染予防にも気を使う必要があり、受験生とその家族においては、気の休まらない日が続いていると思う。私自身、入試では非常に苦労した経験があり、今でも当時のことを思い出すと胃が軋む思いがする。

 さて例によって質問である。受験によって皆さんの人生は変わったであろうか? もし変わったという場合、受験は今の受験生やその次の世代にとっても、人生を左右する重要なイベントであり続けると考えるであろうか?

(bee32/gettyimages)

受験を人生の本番にしてはいけない

 受験の中でも、大学受験はその後の進路に大きな影響を与えるのは間違いない。医者や教師を志す場合には、医学部や教育学部への進学を目指すし、芸術家として生きたいのであれば、美大や音大の門を叩くことになる。多くの高校生は18歳の時点で進路が決まっていないであろうから、とりあえず大学に進学して、学びの過程で進路つまり就職先を探すことになる。その場合、給与水準の高い大企業への就職を目指すなら、偏差値の高い大学にいた方が有利になるのは日本の特徴と言えるだろう。企業は学生が大学で何を学んだかなど気にもかけない。企業戦士として育てるのだから、ポテンシャルさえあれば良いのだ。大量採用の中では、学生の能力を個別に吟味することなどできず、いきおい大学名だけが拠り所となる。大学名が卒業後の所得水準と紐づいてしまうので、難関と言われる大学への受験熱は高まる。かくして、日本人にとっての受験とは、学歴ではなく学校名歴を競うためのものとして定着してきた。

 受験の常として、全ての者の希望が叶うはずなどない。だが受験と将来の紐付けの意識が強すぎると、受験の失敗を人生の失敗のように捉えて自暴自棄になる人がいる。挙句に自傷したり他人を傷つけるような事件も発生する。受験とは学び舎の門を叩いているだけであり、開かぬドアがあれば別のドアを探せばいいだけなのであるが、そうできない若者とその親が必ずいる。まだ人生の本番など始まってもいないのに、受験を人生の本番にしてしまっているのは不幸としか言いようがない。挫折こそが更に大きくジャンプするエネルギーになることを親と周りの大人は教えなくてはならないが、それが必ずしもできていないとしたら悲しいことである。

変質する入試問題

 受験がナーバスなのは、それが一発勝負であることだ。普段の学校や模試での成績がいかに良かろうと、試験当日の点数が悪ければ合格にはならない(AO型入試については後述)。人気校には多数の受験生が殺到するため、学校側は敢えて差がつくような問題を出す。受験生はその防戦のため、知らない問題など無いようにと膨大な知識を詰め込もうとする。知識の定着を図るためには、当然のごとく膨大な量の問題集をこなさねばならない。この過程が受験勉強の最も苦しいところで、数学や理科の難問に取り組み、社会科のマニアックな項目の暗記に励んだ辛い記憶をお持ちの方は多いだろう。

 その入試の出題傾向であるが、今大きな変革期にあることをご存知だろうか。下の表は思考コードと呼ばれ、入学試験のレベルを「必要な知識量」「思考の深さ」「難易度」という尺度で図示化したものだ。

出典:首都圏模試などのサイトを参考に筆者作成 https://www.syutoken-mosi.co.jp/column/entry/entry000668.php 写真を拡大

 表の内容については、歴史という教科で織田信長を題材に私が作成した。AとBの領域においては入学試験で出される典型的な問題で、「ああこんな問題あったよね」と懐かしく感じていただけるだろう。そして難関校を目指す子供達は、A3、B3領域の知識を必死で詰め込んでいる。一方Cの領域の設問は、アングルがA、Bとは全く異なっている。A、Bでは一つの正解(Answer)が存在するが、Cにおいてはそれがなく、代わりに求められるのが解決法の提言(Proposed Solution)である。そして今、このようなC領域の入学試験を課す中学・高校が、私学を中心に増えてきているのだ。その背景は何であろうか。


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