前回のコラムでは、日本人にとっての受験をテーマに取り上げ、学びのスタイルが従来の知識偏重型から、不確実な世の中を生きる力とされる“コンピテンシー”を身につける方向に変質していることを書いた。そしてそのようなコンピテンシーを駆使しながら、毎日を夢と希望に溢れて過ごしたいものだと結んだ(『企業の経営者に問う 人材を「人財」と認識しているか』)。その延長として今回のコラムを書いてみたい。それではいつものように質問から始めよう。
- あなたの子どもの頃の夢は何でしたか? そしてそれは叶いましたか?
- あなたの今の夢は何ですか? そしてそれはこれから叶うと思いますか?
夢について語る前に、非常に興味深いデータを見てみよう。これは内閣府が定期的に行っている若者の意識調査(※)を元に筆者が作成したものだ。この調査における「若者」とは、満13歳から満29歳までの男女となっている。
「生きる力」に欠けている
並べたグラフを見て、やるせない気持ちにならないであろうか? これらが明白に物語るのは、自分に自信がなく、現状打破のエネルギーに欠け、そして将来に希望を持てていない若者像である。比較対象となっている欧米各国に比べて、「生きる力」に欠けていると言ってもよい。非常に残念なデータではあるが、私はこのような結果となっている背景は理解している。そしてこれは、若い世代だけの話ではなく、日本人全体に当てはまる現象なのだろうと思う。なぜなら、これはバブル崩壊以降の失われた30年の間、つまり平成というひと時代と令和の始まりにおいて、われわれが失った自信や希望の表れであると考えるからだ。
バブルの絶頂期、さらなる利益を目論んだ投資は、バブルの崩壊により多額の損失となって企業と個人の資産を蝕んだ。資産が傷んだ銀行は、それ以上の資産劣化を防ぐために貸し剥しに走り、その結果、多くの企業が倒産した。危機的状況にある企業に人を雇う余裕もなく、就職氷河期が訪れた。なんとか派遣の職を得ても、リーマンショックのような経済危機の前では「正社員にするよ」という約束も保護にされ、いとも簡単に派遣切りが行われた。
その後も給与は上がらず、長引く停滞感の中でコロナショックが起こり、大企業でさえもリストラや早期退職を呼びかけるという事態を経験した。明日は今日よりもっと貧しくなっているとの実感が急速に支配している中、われわれ日本人は喘ぎながら、何とか今日を生きている。そんな大人たちが周りにいる状況で、若い世代が自分に自信を持ち、夢を持ち、将来の希望を語るなどどうしてできるであろうか。
日本人の夢・希望とは何か?
では日本人にとって夢・希望とは何であろうか? 冒頭に、「あなたの子どもの頃の夢は何でしたか? そしてそれは叶いましたか?」という質問を掲げたが、それと併せて考えてみよう。
幼稚園や小学校の子どもに将来の夢を問うと、サッカー選手、アイドル、宇宙飛行士、そしてYouTuberと色々出てくるであろう。一方で、「暖炉のある家で、大きな犬を飼い、子どもを3人育てる」というような夢を語る子もいるだろう。前者は職業上の憧れであり、後者はライフプラン上の憧れである。ライフプランとは、自分がどんな生き方や住まい方をしたいかというプランであり、誰と、どこで、何をするかについて夢想の広がりは無限である。衣食住に関する「物質的な憧れ」も、大切な人とどう過ごすかという「時間のクオリティ上の憧れ」も含んで果てがない。
私の小学生の息子は「スキー命」なのであるが、「住まいのベースは東京にしつつ、冬の間は新潟に住み、夏にはニュージーランドに移住するような生活がしたい」などとのたまう。大好きなスキーをベースに、壮大なライフプランを育んでいるなと頼もしい限りである。問題はそれをどう実現するかなのであるが、それはこのコラムの後段で深掘りしよう。
一方の職業的な憧れに関しても、幼い時にはスポーツ選手にミュージシャンにとライフプラン同様に果てがない。しかし年齢を重ねるごとに現実的になり、高校生にもなると、教師、看護師、パテシエなどと具体的に収束してくる。そこまで職業イメージが明らかでない子でも、「英語を使う仕事」とか「貿易で世界とつながる仕事」のように、職業上の重要なキーワードを意識するようになる。