2024年4月24日(水)

近現代史ブックレビュー

2022年4月16日

 その後、33年から本格的なウクライナ人に対する集団的飢餓政策が始まった。穀倉地帯とまで言われたこの地域に過酷な食糧徴発が科され、そこから深刻な飢餓が始まり、結局約330万人のウクライナ人が餓死したのである。

 いくつものおぞましい事例が並べられており、親が子を食べあるいは子ども同士が食べあうという、この世の地獄絵図についての叙述が続いている。食べるものが全くなくなり、「人肉が唯一の肉となった」「ハルキウ地方のある若い共産党員は、人肉を使わなければ自分は食肉徴発目標値を達成できない、と幹部に報告した」。

 これが、ソ連・ロシアのためウクライナ人が経験させられ近現代史であった。これを知ったウクライナ人の誰がロシアに降伏するだろうか。

「抵抗」を理解できない背景とは

 1400万人という数字は、独ソ戦の戦死者とは全く別の飢餓などによる死者数である。あの過酷な強制収容所などの施設に送り込まれた人の数よりも「流血地帯(ブラッドランド)」で殺された人間の数の方がはるかに多いのにもかかわらず、それをほとんど無視してきたこれまでの多くの歴史家の態度も問題となる。

 たしかに、書店や図書館で見るとわかるが、この時代を主題にした歴史書において、こうした事実が十分に記述されてきたとは言い難いであろう。飢餓の事実と餓死者の数が書いてあってもそれだけで終わっていることが多い。たまたま見たある新書は良心的で、さすがに「それは第一次世界大戦の死者より多い」という趣旨が書いてあったが、やはりそれで終わってしまっていた。本書でも問題にしているヒトラー・ナチスドイツの蛮行の記述に比すと分量のアンバランスがあまりにも際立っているのである。

 また、著者は『全体主義の起源』(みすず書房)を書いたハンナ・アレントの後継者と見なされているが、アレントはスターリン・ソ連とヒトラー・ドイツを共に全体主義として厳しく批判しているにもかかわらず、日本ではアレントについての書物を見ると、この全体主義についての箇所はナチスドイツのことばかりを書いており、ソ連のスターリン主義による独裁・虐殺の問題をほとんど扱っていない。

 こうした不均衡が、高等学校の世界史や一般向けの書物における不十分な叙述となり冒頭に述べた事態につながったのであろう。

 その意味で本書の衝撃は大きく、出された数字など細部についての検討は今後なされることもあろうが、その大きな問題提起が深く長く続いていくものであることは間違いないところである。

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■プーチンによる戦争に世界は決して屈しない
Part 1 元NATO軍最高司令官に聞く 世界の行方と日本の役割/ジェイムズ・スタヴリディス
Part 2 〝プーチンの戦争〟の先にはどんな「出口」が待っているのか?/小泉 悠
Part 3 ロシアの行動を注視する中国 日本の安全保障「再構築」を/小谷哲男
Part 4 日米で「核の傘」信頼性強化を 立ち止まっている猶予はない/神保 謙
Part 5 東欧が見てきたロシアの本性 〝最前線〟の日本は何を学ぶか/マチケナイテ・ヴィダ
Part 6 一変したエネルギー安全保障 危惧される「石油危機」の再来/小山 堅
Part 7 脱ロシアで足並み揃わぬEU エネルギー調達の要諦とは/山本隆三
Part 8 「戦争と制裁」で視界不良は長期化 世界はインフレの時代へ/倉都康行
COLUMN 輸出入停止、撤退・・・・・・ 北海道・ロシア交流は厳冬へ/吉村慎司
Part 9 座談会 「明日は我が身」のハイブリッド戦 日本も平時から備えよ
山田敏弘 ×桒原響子×小谷 賢×大澤 淳
Part 10 真実分からぬ報道のジレンマ「あいまいさ」に耐える力を/佐藤卓己
Part 11 失敗した英国の宥和政策 現代と重なる第二次大戦前夜/細谷雄一

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Wedge 2022年5月号より
プーチンによる戦争に 世界は決して屈しない
プーチンによる戦争に 世界は決して屈しない

ロシアのウクライナ侵攻は長期戦の様相を呈し始め、ロシア軍による市民の虐殺も明らかになった。日本を含めた世界はロシアとの対峙を覚悟し、経済制裁をいっそう強めつつある。

もはや「戦前」には戻れない。安全保障、エネルギー、経済……不可逆の変化と向き合わねばならない。これ以上、戦火を広げないために、世界は、そして日本は何をすべきなのか。


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