近現代史ブックレビュー

2022年2月17日

»著者プロフィール
著者
閉じる

筒井清忠 (つつい・きよただ)

帝京大学文学部長

1948年大分市生まれ。帝京大学文学部長・大学院文学研究科長。東京財団政策研究所上席研究員。専門は日本近現代史、歴史社会学。『昭和十年代の陸軍と政治』(岩波書店)、『二・二六事件と青年将校』(吉川弘文館)など著書多数。

 近現代史への関心は高く書物も多いが、首を傾げるものも少なくない。相当ひどいものが横行していると言っても過言ではない有様である。この連載はこうした状況を打破するために始められた、近現代史の正確な理解を目指す読者のためのコラムである。
オンライン版 二・二六事件
東京陸軍軍法会議録 解題

丸善雄松堂
(注) 『解題』はこちらからご覧いただけます

 3月号では、二・二六事件についての書物を取り上げたいと思っていたが、よいものがない。二・二六事件は近代日本史上、唯一にして最大のクーデター事件なので関心は高く、毎年2月になるとマスメディアに取り上げられことが多いが、近年はよいものがあまり出なくなったのである。なぜか。

 事件後90年近くの間に膨大な資料が出ているのでそれを全部読破せねばならず、この地道で大変な作業をする者がほとんどおらず、さらに最近公開された軍法会議録(国立公文書館に保管されており、オンライン版 二・二六事件東京陸軍軍法会議録がある)を読んだ者が乏しいからだ。

 本格的研究の蓄積をおろそかにし、事件研究の決定的資料を見ていなければ不首尾になるのは当然のことだろう。

 そうした中、読者に事件を理解してもらうには、(高価なため図書館などで閲覧するしかない)軍法会議録を読む代わりに、これまでの事件の研究について知ってもらうのが至便と考え、本書を取り上げた(本書=『解題』はネットで無料閲覧が可能である。しかし、軍法会議録は学術機関向けの販売に限られている)。

錯誤多き事件研究の裏面史

 二・二六事件の研究史は、派手だが怪しげなマスメディア利用による「成果」が連続する中、着実な研究者による地道な資料の発掘と研究が積み重ねられてきた歴史であった。

 一例を挙げよう。1980年代の終わりに事件の軍法会議の検察側の記録が出たことがあった。「発見者」たちは、軍法会議全体の記録は失われ存在しないと断定してこの資料の意義を誇大に主張しつつ、一部のマスメディアと一体になって真崎甚三郎将軍陰謀説(皇道派の将官の間に予め計画が練られていたとする)というものを唱え大騒ぎしたものである。

 これに疑念を感じた北博昭氏が厚生省引き揚げ援護局の資料から調べ上げ東京地検に軍法会議の記録が存在することを発見、現在の国立公文書館の公開につながったのだった。そして、真崎将軍陰謀説もこの軍法会議記録によって明確に否定されている。青年将校の一人池田俊彦少尉は、こうした陰謀説を批判した書物を書いて逝ったが、池田の書物が文庫化されるとその池田が批判した陰謀説に加担した当の人物が解説を書いており驚かされたものであった。

 また、事件当時の電話録音記録が発見されたことがあったが、その中のある声を北一輝の声と断定。大いに驚かされたが、後に断定者が自ら取り消すというような誤報事件もあった。発表までにきちんと裏をとるという報道の原則が守られていなかったのである。

 このほかにも、北と青年将校の関係を類型化する必要があるというすでに先行研究で明らかにされている説を新しい自説のように書いたり、すでに青年将校の自伝的書物に書かれている既知のことを未知のことのように書いたりするなど、錯誤が繰り返されたのが事件研究史であった。それが明細に書かれているのが本書である。それ自体興味深い戦後昭和史研究界裏面史と言えよう。

関連記事

新着記事

»もっと見る