2024年11月25日(月)

Wedge REPORT

2013年3月11日

 原町区南端の小沢、小浜(こばま)、堤谷、江井(えねい)、下江井5集落では、計220ヘクタールの農地に地権者が約200人いたが、6割の農地を10戸の担い手に集約する合意に至り、01年に着工。13年完成、15年に本換地とする予定だった。

自衛隊が農地の上に集めたままになっているガレキ

 区画整理や農道を引き直す「面整備」はほぼ終了していたが、沿岸に近い約半分の農地は水浸しでガレキが散乱。1~2割程度完成していた地中のパイプラインや用排水設備はめちゃくちゃに壊れた。総事業費50億円のうち約30億円を消化した段階だったが、すべてが無駄になった格好である。しかも警戒区域内のためガレキ処理の重機が入らず、震災直後に自衛隊がガレキを農地の隅に野積みにしたままの状態だ。12年秋にようやく水がはけ、地面が顔を出したところというから、いかに放置されていた地域かがわかる。

 やっかいなのは、災害復旧事業は、原状回復が基本ということだ。基盤整備事業が途中だった場合、どう整理して進めるのか。なかなか方針が示されず、地元の苛立ちが高まっていた。

 12年秋にようやく、県農林事務所から、終了していた面整備分は災害復旧事業として、未完成だった用排水設備の復旧、新設は復興交付金事業(復興庁所管・農林水産省実施、全額国負担)として実施する方針が示された。

 しかし、農地内を通る県道の新しいルートは決まっておらず、ガレキ置き場は、ようやく今年5月に一部供用開始(全面開始は秋以降)という予定だ。ガレキ撤去が済まないと災害復旧事業は始まらない。他地域に比べ約2年、後れをとったことになる。

 とりまとめ役の宝玉(ほうぎょく)義則さん(64)はこう語る。「このまま未来が見えない状況が続けば、もっと人がいなくなってしまう。東京電力からの補償もいつまで続くかわからない。できることをやろう、と復興組合を立ち上げました。農水省の被災農家再開支援事業という枠組みで、一人一日1万円の日給で、農地の草刈りやガレキ拾いをしています」。

 基盤整備に参加した地主は途中で抜けることはできないが、工事が終わった最終段階で金銭と引き換えに土地を手放す「不換地」という仕組みがある。震災前は全体の約1割の約20人ほどが不換地を宣言するとみられていたが、宝玉さんによると、震災後その数は増えそうだという。浸水区域でアンケートをとると、7割くらいが「離農したい」と答えているという。


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