2023年1月30日(月)

近現代史ブックレビュー

2022年5月17日

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筒井清忠 (つつい・きよただ)

帝京大学文学部長

1948年大分市生まれ。帝京大学文学部長・大学院文学研究科長。東京財団政策研究所上席研究員。専門は日本近現代史、歴史社会学。『昭和十年代の陸軍と政治』(岩波書店)、『二・二六事件と青年将校』(吉川弘文館)など著書多数。

〝奇人〟が遺した突出した成果

 その後、京都大学文科大学の哲学科に入学、社会学を専攻することにした。質素な最低の衣服で無帽・裸足だったので地元の新聞に「京大文科の奇人」と出た。

 驚かされるのは近衛文麿とのことである。京都大学に入った近衛は、高田に頼んで毎週大学からの帰りに下宿に来てミルの『経済学原理』を一緒に読んだのだ。「当時の近衛公は社会主義的な考えをもち東京往復の汽車は三等である」という。2人のミル講読は2学期も続いたというからかなりの影響を与えたとみてよいであろう。東條内閣が倒れた後、2人の間には密接な関係があったようだがそこは叙述されていない。

 高田が第一次護憲運動の際、上京して政治家になろうとしたのを必死で食い止め、次に京大法学部の講師が決まっておりながら上京して政治家になろうとしたため今度は高田が必死で食い止めたにもかかわらず駄目だったのが高田の無二の親友・瀧正雄であった。その瀧が近衛の側近となり第一次近衛内閣の企画院総裁になるので、この辺り近衛・昭和史研究の興味深い事実である。

 社会学講義の担当者は米田庄太郎講師であった。「当時、東大の建部遯吾博士の社会学体系は宏壮であったが、新しい学説の吸収においては若輩を満足させなかった」「米田博士はアメリカのギディングス、フランスのタルドに学び、その上、博覧強記と烈しき精進によって学殖少なくも国内に比肩するものなしという状況であった」。

 博学な米田からは、マルクスはもちろんウエーバー、デュルケーム、パレートなどを教えられ、高田の内部で社会主義から客観的学問としての社会学への転換が起こった。

 高田はその後、京都大学、広島高等師範学校、東京商科大学、九州大学に勤め結局1929年に河上肇がやめた後の京都大学経済学部教授となる。

 19年に『社会学原理』を刊行、日本で初めて個別科学としての社会学の著作に踏み出した人となった。この間『勢力説論集』『階級及第三史観』など多くの著作を刊行する。  

 社会学に関してはテンニスなど同時代の欧米の社会学者の著作に引用が行われるなどの成果を出したはじめての日本人だと言ってよいであろう。

 また、日本農村社会学を確立した鈴木栄太郎は、高田からの影響を次のように語っている。「私は自然村の観念を頭に描きはじめてから、〔高田保馬〕博士の多くの著作、特に『社会と国家』は何回通読したか分からない。私の自然村の観念には博士の全体社会の観念が浸透しているであろうとみずからも思っている」「私が博士の著作を引用しないのは、引用すべき個所が、部分にではなく全体にあるからである」。(『鈴木栄太郎著作集Ⅰ』136頁)


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