2024年11月21日(木)

山師の手帳~“いちびり”が日本を救う~

2022年5月1日

ウクライナから飛行機でプラントを日本に運ぶ

 前置きが長くなったが、ウクライナでのビジネスの話をしたい。初めて筆者が夜汽車に乗ってモスクワからウクライナのキーウに行ったのは1990年、ロシアの経済環境が悪くなってきたときの頃だ。ソ連の貿易公団にインテリ女性のナタリア・バフチナというチタンの担当者がウクライナのチタン工場の見学のアレンジをしてくれた。当時はソ連の崩壊の直前だったのだが、キーウに向かうまでは気長な旅だった。住友金属工業のチタン部門の最高責任者と大阪チタンの技師長に蝶理モスクワ店の朝鮮系通訳の女性カーチャと私の4人だ。

 深夜の荒野を走る870キロの白夜の旅であった。行けども行けども同じ景色が続く退屈な長距離列車の中では車中のレストランでロシア料理とウクライナ料理とウォトカを呑むくらいしか暇つぶしができない一昼夜20時間の夜汽車の旅であった。この時のザポロジェ訪問の話は、『プーチンの焦りの遠因?山師が見たウクライナの実力』に書いた通りである。

 では、ビジネスはというと、ロシアで始めたチタンのビジネスといっても、実際はウクライナにいる優秀な技術者と技術交換をするのだった。普通の純チタンの輸入はカザフスタンのスポンジチタンとロシアのスポンジスタンが対日輸入の中心だったが、ウクライナは機械技術つまり加工技術に強みがあった。

 そのため、ウクライナからはエレクトロンビーム炉(EB炉)を輸入することにした。この時輸入した炉は、今も日本の工場で立派に活躍しているという。

 エレクトロンビーム炉というのは、電子ビームで、スポンジチタンを溶かすというものだ。ウクライナの機械工場から、このエレクトロンビーム炉を輸入するには、困難があった。まず、信頼性ということであれば、ドイツのリテック社やADL社のような有名企業の製品があった。一方で、ウクライナ製となれば未知数だ。それでも、コストも安く、炉を生産するウクライナの機械工場は技術も高くユニークな工場だったので、リスク覚悟で契約をしたことから話は始まった。しかし、ウクライナ経済の混乱と新興財閥の利権争いまでは予見できなかった。

 実は導入には日本政府の補助金も使ったので、条件は期限內に納入しなければならなかった。仮に期限に遅れるとペナルティーが3億円以上になるので期限が近づいた時に空輸が必要となった。仲介役の筆者は大損失の取引となった。

 結局、大型ジェットのアントノフ124を現地でチャーターして150トン以上のプラントを日本向けに輸送することになった。まず、ウクライナからカザフスタンのアスタナ空港で積み替えて、上海空港に立ち寄ってから愛知県の中部国際空港を目指した。

アントノフ124からの積み替え
中部飛行場における內航船への積み替え
內航船に積み替えたEB爐

 空港で船に積み替えて內航船で西回りで太平洋から日本海の玄界灘経由で直江津港まで運行した。国の仕事なので輸送条件が厳しくて苦労したことは良い経験だがほろ苦いウクライナの想い出だった。経済産業省の希少金属の高度化推進といった補助金が国家から支給されたので国の仕事ということで大変気を使うプロジェクトであった。

 当時の住友金属工業の直江津工場に納入したのだが、実は京都のレストラン・キエフのオーナーである加藤さんが住金の副社長をしておられたのでこの仕事では多くの住金のチタン部門の関係者と共にウクライナに行って苦労した懐かしい思い出であった。

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