2024年4月19日(金)

Wedge REPORT

2022年5月27日

人工的な〝植林〟と自然な〝原生林〟という見守り環境

 東日本大震災の災害支援をきっかけに立ち上げたぐるんとびーは、急場で唐突には助け合えないという経験から、平時における人間関係づくりに腐心してきた。とはいえ、〝事業〟として考えれば、範囲や内容を限定しない地域づくりを中心に据えると収益性が下がるなど、リスクもあるはずだ。

 菅原氏は介護保険事業を〝植林〟、地域活動を〝原生林〟と見立てて解説する。「水も日光も均等に行き届く管理された〝植林〟の方が持続可能な強いしくみに見えるのに対し、〝原生林〟は自然のままの姿で、人が思うようにコントロールできない。地域活動とはその〝原生林〟の状態を大事にすることだと考えます。予測ができないことだらけの中、水に近い場所では根腐れしない植物が育ち、水から遠いと吸収力のある植物が育つ、といった風に地域自体の多様性と持続可能性を育みたい。事業体としては収益源のベースをつくるために〝植林〟も手掛けつつ、その力をもって、目の前で困っている人を24時間365日助け続けられる〝自然な〟環境を作るわけです」。

 彼らはまた、行政でも対応しかねる困難で緊急性の高いケースにも総当たりする。困りごとを孤独に抱えて追いつめられた人を出さないためだ。

 何時間でも話を聞き、通い、寄り添い、心を開いた人間関係を構築して抜本的な課題解決に臨む。そしてこれらを実態的には収支計算の埒外で対応している。

 地域社会を作るという覚悟と意識の高さ、愛ゆえだが、採算度外視の働きは裏を返せばケアの安売りにもなりかねない。それでも「いろいろおかしいと思いつつ、それしか方法が見つからないから仕方ない。そして社会には日常的に緊急事態が起こっている」と菅原氏から本音がこぼれる。このままでは組織が疲弊して潰れるか、潰れないよう正当なインセンティブを求めることでこれらが高級サービスとなる未来が見える。

 ぐるんとびーが「〝みんなでつながれる社会〟をつくる」ことにこだわる理由はここにある。絶望するまで追いつめない社会をつくることでしか、本質的に安心な社会は生み出せないのである。

 筆者は、日本の自殺希少地域について書かれた森川すいめい氏の著書『その島のひとたちは、ひとの話をきかない』(青土社)を思い出す。困っている人を放っておかない、すぐに助ける、みんなでよってたかって助ける、という地域は人を絶望させないという。

 「自分たちは 〝介護施設〟がしたいのではない。〝いい介護〟も作らない。誰もがほどほどの幸せを感じながら生きる地域を実現するための仕組みづくりをしているのです。それは、絶望する人をなくすこと」。このミッションをひとつの福祉拠点が担う姿から、地域全体がネットのように柔らかく受け止める姿へと移行する。目指す姿は災害ボランティア同様、追いつめられた人がいない、そうした緊急支援が必要のない世界をつくることだろう。

自由を奪わないつながりのつくり方

 これほど地域のつながりを重視してきたにも関わらず、それでも筆者は脳味噌が都市モードになると、本当に都市に地域のつながりをつくれるのか、と弱気になる。直感的に「つながり=自由のはく奪」という図式が浮かぶからだ。

 そして同時に、この不自由感は、高齢者の不自由そのものではないかと思い至る。不自由になるのでは、という危機感はさまざまな選択肢を遮断する。助けを求めれば生活に介入してくるかもしれない、自分の長年つくってきたスタイルを奪われるかもしれない、という思いは人を硬直させる。


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