超高齢社会を生き切るために必要なものは何か。「いい介護」はどうすればつくられるのか。3回の連載の中でこれらを探求する中で見えてきたのは、「地域とのつながりのない社会はどう組み立てようにも行き詰っていく」という未来像だった。介護の担い手増員やICT化に頼るだけでは課題解決が難しいのは、自由を選択してきた現代人にとってはどちらかというと不都合な真実だ。
筆者は日頃、二拠点生活を通じて地方と都市の異なるライフスタイルを並行して経験しながら、「生き切れる社会」の在り方について模索してきた。都市はダメ、地方がいい、という話ではなく、あまねく人々が安心して生きられるよう地域ごとの最適化を考える必要がある。
今回は、「地域包括ケア」が機能する地域社会とはどのようにつくられるか検証する。
高齢者が孤立しない地方の日常とは
都市生活より地域社会が機能していると感じられる千葉県南房総地域では、「地域包括ケア」の基盤が見てとれる。
筆者の暮らす農村集落は、家と家とが数百メートル離れているが、近所のおばあちゃんたちはシルバーカーを押して近所の家に行く姿をよく見かける。たまに玄関にシルバーカーがたくさん並ぶ家があると、中から笑い声がこぼれる。足がよくない、長い距離が歩けないという彼女たちだが、日常的に徒歩で集まれる「仲間」がいる。
仲良くしている一人暮らしのおばあちゃんは「最近手がうまく動かない」とこぼしつつ毎日畑で野菜をつくり、知り合いに配る。かわりに困ったことがあると、地域の人たちがさっさと助ける。ついでの買い物を周囲が請け負うのも日常茶飯事だ。
この地域で自宅で亡くなる人が多いのは、「自己都合で発動したりしなかったりする善意」ではなく、「日常的な互助」があるからだと推察できる。
地方の市街地ではまた違った姿がある。安房医療福祉専門学校で教鞭をとる西村禎子氏は、学生からさまざまな話を聞くという。
「ショッピングモールのゲームセンターに日参する高齢者が多い、と発見した学生は、なぜここに通うのかと高齢者に尋ねたところ『ここは長居してもよくて、寒くなくて、人と会える』と答えてくれたのこと。地方の学生は高齢者と同居している割合が高く、さほど躊躇なく声をかけたり話したりするんですね」。高齢者の居場所は地元で何となく把握され、遠くから見守るという日常があるのが分かる。
また住宅地では、ゴミ捨ての様子から高齢者世帯の微細な変化に気づくらしい。分別がおかしい、曜日が違うなどで認知症の進行を察するそうだ。
各家庭の状況が地域でそれとなく共有されていて、小さな子がいたり介護の大変な家庭に配慮するなど、潜在的なセイフティネットが働いていると言える。