ぐるんとびーでの人間模様を見ると、そうした「不自由なつながり」という固定観念が少しずつ崩れていく。例えば、おぼつかない足取りで団地の廊下をうろうろする高齢者にも、すぐには手を貸さずにすこし離れて見守る。また、真夜中にラーメンを食べたいというホームの利用者がいて、その希望に寄り添う。これがSNS上で炎上し、「誤嚥する」、「非常識だ」という非難も多かったらしい。
「安全側に回り込んで自由を奪わない。その人の〝転ぶ権利〟〝むせる権利〟を奪わないという考えです。大事にしているのは『ありがとう』を言わせないこと。ありがとうと言うと、そのたびに自己肯定感が下がるからです。いわゆる、いい介護、が人を殺すこともあるのです」
これまで連載にて「いい介護」を追求してきて、こどもよりも親に対して過保護になりがちな筆者は、思わずわが身を振り返る。
不自然な地域社会を作り、繋ぐ
自然に任せてつながりあうとつい、個々の正義を前面に出して窮屈な環境になりがちだ。よからぬ村社会に通底するそうした偏りを調整するのは、利他的な性質と高度な専門性を併せ持つスタッフたちだという。菅原氏は「地域社会とは不自然なものだ」と定義する。
「ぐるんとびーのせいでこどもが増え、走り回ってうるさい、と怒られることがあるのですが、そこで謝るだけの対応で本当にいいのか。こどもが『うるせー! じじーばばー!』と対等な意見を言っていいと思っています。高齢者を過度に優先する社会は、一方向の正しさだけが全体の正しさになってしまうから」
みんなで少しずつ嫌なことも我慢をし、みんなで少しずつ人を思う。そして、自分らしく生き切れる地域をつくる。こうしたつながりの作り方を、ここで育つこどもたちは体得して将来のライフスタイルに反映させていく。
地域で人を支える「地域包括ケア」とは、その地域の文化の醸造の形であり、さらには教育でもあると言える。地域の人々が次世代に見せ続ける姿だからだ。人が生きる環境の最適解を模索し、つながりを「不自然にでも」保とうとする努力は、よい教育と同じ効果を生む。文化として定着するのはわれわれの命の限りの先かもしれない。
「地域包括ケア」とは1日にしてならず。そして在宅医療・看護・介護の専門に委ねる話ではなく、われわれがどう生き繋いでいくかという話である。