差別の構造が固定化した
20世紀の色覚を省みる好機
今回のJAXAの基準は「医師で構成された専門委員会で認められたもの」とのことだ。しかし、色覚に関する最新研究結果が反映されたものかどうか疑問が残る。現時点での情報では、筆者はむしろ「20世紀を引きずっている」のではないかとの懸念を抱いている。社会が先天色覚異常に執着した20世紀、簡便な石原表が過信され、本来行うべき確定診断を省略した診断がなされることが多かった。遺伝性のものであることから、結婚や出産を諦めさせる優生思想的な社会的圧力もあり、保健体育の授業では「先天色覚異常の当事者は子孫を残すな」と教えられた。今回のJAXAの宇宙飛行士候補募集に差別的な含みがあるとは考えにくいが、今となっては問題があったことが明らかな「20世紀基準」を要件として持ち出したことは不用意だった。
その一方で、この件は、十分に検討されないまま忘れ去られつつある過去を省みる機会とも捉えうる。一見、多様性が乏しく「みんなが同じ」ように見えがち(社会の構成者がそのように感じがち)な日本において、少しの違いがフォーカスされ、差別の構造が固定化してしまったのが、20世紀の色覚問題だ。本当に「困りごと」を抱えている人を適切に見つけ出して支援するより、必ずしも正確ではない検査結果だけでラベル貼りされた対象者を徹底的に排除してしまった。こういった事例を記憶しておくことは、今後、科学的な知見と向き合いながら、21世紀の現在と未来を生きる上で役立ちうる。
例えば──。目下、私たちは、個々人のゲノムのたった1つの塩基配列の違いによって、生存上不利な資質(例えば、平均よりがんになりやすい、など)を持っていることが可視化される時代に生きている。全ての人が何がしかの「不利」な素質を持った遺伝的マイノリティーでありうる中、特定のものが標的となって差別の対象になるような事態は避けたい。20世紀の先天色覚異常の問題は「遺伝子検査が実現する前に起きてしまった遺伝的差別」だったと考えられ、それを振り返ることは多くの示唆を与えてくれるはずだ。
日本が世界をリードする
「色のバリアフリー」という概念
宇宙における多様性の確保の話題に戻ろう。JAXAで宇宙飛行士候補選抜を担当する有人宇宙技術部門宇宙飛行士運用技術ユニットの久留靖史ユニット長は、ハンデのある人たちの登用についてこう語る。
「宇宙ステーション、ゲートウェイ、月面などで、ハンデのある方が仕事をして頂くには、まだ周囲のサポートが足りない状況だ。宇宙船、船外活動の宇宙服、扱う実験機材などが、バリアフリーになっていない。いずれ設計仕様の中にバリアフリーが定義されて、要求スペックの中にその条件が入ってくることが必要で、今はまだそういう機運が醸成されていない段階だ」
ある意味、もっともな意見ではあろう。しかし、今後、その機運が醸成されるなら、こと色覚については、日本において各国に先んじたノウハウと文化がすでにあると指摘しておきたい。色覚差別が猖獗(しょうけつ)を極めた日本で、それを克服するために行われた努力のうちの一つが、「色のバリアフリー」の提唱だったと、筆者は捉えている。以後、学校教科書での色使いや色だけに頼らない情報の伝達、複雑な鉄道路線図を多くの人にとって分かりやすいものにする工夫、自治体の案内看板などの工夫など、さまざまな面で「色のバリアフリー」が推進された。