かつて高津監督が現役時代に師事した故野村克也元監督は他球団で戦力外になった選手を拾い上げて復活させ「野村再生工場」と呼ばれた。この小澤の見事な復活劇は、高津監督に恩師のような「高津再生工場」としての手腕を垣間見せたと言えるかもしれない。
「人を遺すを上とする」チーム作り
野手にもリードオフマンの塩見泰隆外野手、3番・山田哲人内野手、主砲・村上宗隆内野手、ベテラン・青木宣親外野手ら強力な面々がラインアップ。
前出のOBは「ヤクルトの攻撃で特筆されるべきところは、とにかく打線がつながる。効率よく点が取れるからスキがない。高津監督が投手同様、個々の野手陣とコミュニケーションをしっかりと取りながら役割分担をきっちり明確化させ、コーチ陣にも指示していることが功を奏している。
青木や村上がベンチ内で試合中、よく声を出しながらチームメートたちを鼓舞していることも大きい。特に村上は要所で必ずマウンドの投手に駆け寄り、声をかけることをルーチンワークにしている。こうした何気ない主力の一挙一動がチームの雰囲気作りに一役も二役も買っており、それを率先させているのが高津監督の〝ファミリー路線〟。なあなあな関係になるのではなく、チームメートはファミリーだからこそお互いがいいことも悪いことも言い合えるような間柄になっていこうというもの。
高津監督が『毎日球場に来るのが楽しみになるようなチームにしたい』と公言しているのも、その姿勢の表れであり、これが今のヤクルトの〝明るく楽しく、滅法強い野球〟へと結びついているとも言えるのではないか」と持論を展開した。
若手に目を向ければ長岡秀樹内野手や丸山和郁外野手、内山壮真捕手ら20歳前半のフレッシュな新戦力も次々と台頭。高津ヤクルトは王者として連覇を目標に日々まい進しながら世代交代も図り、育成プランを順調に進めている。
振り返れば、高津監督が師と仰ぐ名将・故野村氏は生前、明治から昭和初期にかけて活躍した政治家・後藤新平氏の名言「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」を自らの格言として大切にしていた。
財産を築き上げたり、仕事で業績をあげたりすること以上に、人を育てることは難しく、それゆえに価値があるという意味だ。野村氏は〝選手の個性を見極めることの大切さ〟を指導者の真髄として自身に言い聞かせ、数多の名プレーヤーたちを世に輩出した。
その教え子の1人で日米通算313セーブの大偉業を成し遂げ、22年に野球殿堂入りも果たした高津監督は故野村氏の遺伝子と格言をしっかりと引き継ぎ、今日もベンチで采配を振るっている。
世のビジネスパーソンも高津監督のマネジメント術は分野こそ違えども多くの局面において参考になるはずだ。