2024年12月23日(月)

スポーツ名著から読む現代史

2022年6月29日

 ヤクルトスワローズが4年ぶり2度目の優勝で幕を閉じた今年のプロ野球セ・パ交流戦。プロ野球ファンの間にすっかり定着した感のある交流戦だが、その始まりは今から18年前、パ・リーグの消滅の危機と、それに抗議した労組・日本プロ野球選手会のストライキという重大事態が大きく影響していたことを記憶している人は少なくないだろう。

(AP/アフロ)

 セ・パ交流戦は、3カ月余にわたりプロ野球界を巻き込んだ大騒動の結果として実現した。2004年、プロ野球界に何が起きたのか。それを振り返るうえで貴重な資料として残されたのが05年、日本プロ野球選手会がまとめた『勝者も敗者もなく』(05年、ぴあ)だ。

 サブタイトルは「日本プロ野球選手会の103日」。一方的な「球団合併」の発表に抗議し、12球団の選手たちが日本野球機構と球団オーナーたちに立ち向かった闘争の記録である。選手会側の一方的な記述ではあるが、親会社の決定に対し、選手の立場で何ができるのかを悩み、行動に移した経緯が克明に記録されており、資料的な価値は高い。

 西武やダイエー(現ソフトバンク)の代表を務めるなど球団経営に精通した坂井保之氏が08年に出した著書『深層「空白の一日」』(08年、ベースボールマガジン社新書)は、選手会とは別の立場から04年の騒動を振り返っており、当時、プロ野球かに何が起きたのかを合わせて読み解いてみたい。

発端は日経新聞の特ダネ記事

 騒動の始まりは04年6月13日の日曜日、日本経済新聞が1面で報じた特ダネ記事だった。「近鉄球団・オリックスへ譲渡交渉」。同じ関西を本拠地にするパ・リーグの2球団が合併する方向で協議を進めているという内容だった。

『勝者も敗者もなく』(日本プロ野球選手会著)

 大阪近鉄バファローズの親会社である近鉄グループは経営難から、球団の保有権をオリックス・ブルーウェーブに売却し、両チームを統合させるという計画だ。近鉄球団をめぐっては、同年1月末、球団のネーミングライツを売却するという計画を発表したが、巨人などの猛反対で撤回する騒ぎがあったばかり。

 両球団の合併話が報じられた日、近鉄の選手会長、礒部公一はオタフクかぜにかかり、登録抹消で自宅にいた。そこへオリックスの谷佳知から携帯電話が入る。<「ニュース見たか? ウチとおまえのとこ合併するらしいぞ」「合併? 合併って何です?」礒部も言っている言葉の意味がさっぱり分からなかった。>(『勝者も敗者もなく』28頁)

 事情が分からないのは選手会事務局長の松原徹も同じだった。6月14日月曜日。事務局に出勤した松原は、記者からの問い合わせに追われていた。そこに礒部から電話が入る。<「松原さん、いったい、どうなってるんですか」「俺もいろいろ聞いているんだけど、さっぱりわかんねぇんだよ」。事態が大きいわりには、いや事態が大きすぎて、状況や今後の成り行きについて、松原が納得するような明快な説明をしてくれる当事者は存在していないに等しかった。>(同書30~31頁)

 6月17日、東京・銀座の連盟事務局で、パ・リーグの臨時総会が開かれた。議題はオリックス、近鉄の合併についてだった。会議後の記者会見で「合併合意を了承」「本拠地は、大阪、神戸のダブルフランチャイズ」との発表があった。

 <松原は、パ・リーグ事務局、セ・リーグ事務局、そしてNPB(日本プロ野球組織)が、それぞれこの事態をどう考えているのかを改めて知りたかった。が、問い詰めていっても、のれんに腕押しだった。そして混乱していた。あるスタッフは「それは球団経営の問題だからしょうがないじゃないですか」と答えた。「自分たちの組織なのに、なぜ6(球団)から5に減ることを何とかしようとしない気がないのだろうか」。松原は不思議に思った。もう、こうなったら自分たちで動くしかなかった>(同書33頁)


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