2022年8月11日(木)

脱「ゼロリスク信仰」へのススメ

2022年7月16日

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唐木英明 (からき・ひであき)

東京大学名誉教授

1964年東京大学農学部獣医学科卒。農学博士、獣医師。東京大学農学部教授、日本学術会議副会長、倉敷芸術科学大学学長などを経て現職。著書に『不安の構造 リスクを管理する方法』(エネルギーフォーラム新書)。

GM嫌われた3つの理由

 1996年に商業栽培が始まったGMは、農業労働と経費、農薬の使用量を減らすという大きなメリットがあったため、世界の農業者に広く受け入れられた。しかし、農業に携わらない人たちの間に3つの理由で反対運動が起こった。

 その一つは、遺伝子は神の領域であり、人間がこれを改変することは許されないという宗教的な考え方である。また、「遺伝子が入った食品なんて気持ちが悪い」という意見も出ていた。野菜も肉や魚も、すべての細胞に遺伝子が入っていることを知らず、GMだけに遺伝子が入っていると誤解していたようだ。

 2番目は、GMを開発した企業の一つである米国のモンサント社は、「ベトナム戦争で米軍が使用した枯葉剤を製造した非道徳的な企業」、あるいは「GMを使って世界の農業を支配しようとしている怪しからん企業」、などという反米思想と結びついた反発である。もちろんモンサント社にそのような力はなく、2018年にドイツのバイエル社に買収されて消滅した。

 3番目はGMが有毒という誤解だ。各国政府はGMの安全性を厳しく審査し、安全なものだけを許可しているのだが、それでも孫子の代に何が起こるか分からないなどの不安を持つ人がいる。そして、間違った試験法を使ってあたかもGMに発がん性があるような結果を発表した研究者もいた。

 GMについての同じ情報を見て、農業者はGMを受け入れる判断をし、一部の消費者は受け入れない判断をした。判断が分かれた理由は2つある。それは消費者にはGMの利益が見えないこと、そして行政と企業の失敗が不信を拡大したことだ。

消費者に見えなったGMの利益

 私たちは危険と言われるものを避けることで身の安全を図る。しかし新しい技術については、それが危険なのか分からない。すると人間はよく分からないものに不安を感じ、危険と判断する。その方が安全だからだ。

 例えば、明治の初期には、写真は魂を吸い取ると言って恐れる人が多かったという。最近では携帯電話が発する電磁波が脳腫瘍を起こすというフェイクニュースを信じる人がいた。

 しかし、その技術が広まって安全が確認されると、不安は消えていく。さらに、自分に利益があることが分かると、危険という情報は忘れて積極的に利用するようになる。

 写真を恐れる人も、携帯電話を危険視する人もほとんどいなくなった。リスクが極めて大きい自動車の運転や喫煙、飲酒を行う人が多いのも同じ理由だ。

 GMは農家には大きな経済的メリットがあり、だから世界の農家が受け入れた。ところが消費者のメリットは見えにくい。食料の安定供給とか農薬の削減と言われても、自分や子どもに被害があるのなら受け入れたくないと思うのは当然だ。添加物や農薬を事業者は受け入れるが、消費者は受け入れないのと同じで、事業者の利益のために消費者が被害を受けることは許せないという倫理観につながるのだ。

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