2022年8月18日(木)

脱「ゼロリスク信仰」へのススメ

2022年7月16日

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唐木英明 (からき・ひであき)

東京大学名誉教授

1964年東京大学農学部獣医学科卒。農学博士、獣医師。東京大学農学部教授、日本学術会議副会長、倉敷芸術科学大学学長などを経て現職。著書に『不安の構造 リスクを管理する方法』(エネルギーフォーラム新書)。

消費者の不安を高めてしまった「ある間違い」

 こうして、消費者にメリットが見えない中、GMの運命を決める出来事が起きてしまった。「スターリンク事件」と呼ばれるものである。

 スターリンクはフランスのアベンティス社が開発した害虫抵抗性トウモロコシで、当初は食用として許可申請された。しかしアレルギー試験が不十分だったため、米国環境保護庁(EPA)が1998年に家畜用飼料として許可したのだが、これが大きな間違いだった。

 それから2年後の2000年に、反GM団体が食品を調査し、スーパーで売られていたメキシコ料理のタコスにスターリンクが混入しているのを見つけた。そしてスターリンクの混入は日本でも見つかった。

 米国ではGMトウモロコシと非GMトウモロコシの両方が栽培され、食用トウモロコシと飼料用トウモロコシが栽培されている。生産、流通の各段階でそれらを完全に分別することは不可能だったのだ。

 例えば、日本は分別生産流通管理システムを構築して米国から非GM大豆を輸入し、「遺伝子組換えではない」という表示を許可しているが、GMの混入を完全に防止することはできず、5%までの意図しない混入は許容している。

 その後の調査から米国のトウモロコシの約半分にスターリンクが混入している可能性があるとして価格は大きく下落し、トウモロコシ市場は大混乱になった。アベンティス社は混入が疑われるトウモロコシをすべて買い取ることで収拾を図ったのだが、その費用は最大10億ドルと見積もられた。スターリンクの登録は取り下げられ、アベンティス社の担当役員は解雇された。

 しかし騒動はそれだけで終わらなかった。スターリンクが混入したトウモロコシを食べてアレルギーになったと主張する人たちが訴訟を起こしたのだ。米国疾病対策センター(CDC)はスターリンクがアレルギーの原因ではないと判断したが、アベンティス社は賠償金を支払って解決した。

反対運動に勢いを与える結果に

 商業栽培が始まる前からGMは環境保護団体の攻撃の的だったのだが、反対の根拠は「危険かもしれない」という推測だけで証拠はなかった。そこにスターリンク事件が彼らの反対に強力な3つの根拠を与えることになったのだ。

 その一つは健康被害を訴えた訴訟だ。多くの人は「推定無罪の原則」を知らず、裁判が起こったことは悪事が行われた証拠と感じる。企業が賠償金を支払ったのは、その方が安上がりだと判断したためだが、これもまた健康被害を起こした証拠と誤解した。こうしてGMは危険といううわさが一気に広がった。

 2番目は、不十分な試験で栽培許可を申請したことだ。GMを販売する企業はいい加減な試験で危険なGMを売り出すという話が広がり、GM販売企業であるモンサント社がベトナム戦争で使用された枯葉剤を作っている会社だという話と結びついて企業の信用が落ちていった。

 3番目はGMを規制する行政に対する不信である。米国環境保護庁(EPA)がスターリンクに家畜用として栽培許可を出さなければこんなことにはならなかった。そんなことをすれば当然食用への混入を予想しなくてはいけないのに、「考えもしなかった」と無責任な答え方をした。これでは食の安全は守れないという当然の批判が出たのだ。

 こうして、スターリンク事件はGM反対運動の大きな根拠になったのである。実はGM反対運動の根拠になった出来事がもう一つあるのだが、それは次回に。

 
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