電子材料など収益率の高い事業を他のドメインに移したにもかかわらず、12年度第3四半期の売上高営業利益率は6%となり、白物家電を擁するアプライアンス社(5%)を抜いて全ドメインの中でトップになった。「収益率が落ちたら、パナソニック本体からの介入が強まる」。ES社内の危機感と士気は、他のドメインと比較にならないほど高い。パナソニックの株価低迷で、もともとの電工株主も憤懣やるかたない。だったらいっそ創業時のように、再び独立してしまえ、というのもさほど暴論には聞こえない。
「これまではグループ会社を中に取り込んできたが、ことごとくうまくいっていない。これからは、外に切り出すこともやっていかなければならない」。パナソニックの幹部は企業体の考え方が変わる可能性があるという。実際、ヘルスケア(子会社のパナソニックヘルスケア)や携帯電話などの売却が、すでに議論の俎上にある。MCAの売却など一部を除けば、過去に大きな事業売却をしてこなかった同社にとっては、実は珍しいケースだ。
新中計で目指すのは売上高営業利益率5%以上(15年度段階)。であれば、11年度決算や12年度第3四半期決算で約6%の利益率を出している「ヘルスケア事業を売却する必要はないのではないか?」(証券アナリスト)との意見もあるが、グループ内で成長させられないなら切り出すことは合理的だ。
もともとは12年度までの旧・中期経営計画で重点領域に位置づけていた事業だったが、津賀社長は「医療業界における当社の知見が限定的で、グループとして十分な投資もできず、成長の可能性に限界がある」と説明している。
パナソニックヘルスケアはもとをたどれば、松下幸之助氏の大番頭だった稲井隆義氏が四国で興した旧松下寿電子工業が源流だ。フロッピーディスクドライブやハードディスク装置(HDD)など外部記憶装置で高いシェアを持ち、かつてはビデオなども手掛けたことがある、極めて独自志向の強い会社だった。
ところが、ITバブル崩壊などの影響もあって損益が大幅に悪化したこともあり、中村社長時代の2002年、グループ会社再編の一環で、松下通信工業などとともにパナソニックの完全子会社になり、名称も「パナソニック四国エレクトロニクス」に変更された。
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その後もAV関係の事業を他組織に移管するといった整理・再編が進められた。最終的に、補聴器や血糖値測定センサーなど、ヘルスケア事業に特化した現在の形となり、12年には電工や三洋電機のヘルスケア部門も統合したが、右図のように統合効果は一向に出ていない。
90年代には「健康医療事業で00年に1600億円を目指す」、09年には「ヘルスケアで15年度に4500億円」と売上目標がぶちあげられていたにもかかわらず、である。新中計では「外部資本導入」と表現されたが、将来の売却が視野に入っていると業界では受け止められている。