売却を模索している事業のもう一つが携帯電話だが、これも旧松下通信工業(現パナソニックモバイルコミュニケーションズ=PMC)が手掛けてきた。完全子会社になった02年以降は海外展開から撤退するなど、事業を縮小してきた。開発スピードも鈍り、米アップルや韓国サムスン電子の前に完全な敗退ムードだ。
4月1日には、基地局など通信インフラ部門を切り離してパナソニックシステムネットワークスに移し、携帯電話端末事業に特化した新PMCに生まれ変わる。これにより、外部との提携や売却が進めやすくなる、とみられている。しかし、国内メーカーからは断られ、外資系の携帯電話メーカーも体力が落ち込むなかで、売り先は容易に見つからなさそうである。
いずれにしても、グループ内の事業の重複をなくすために、支配力を強めてパナソニックに取り込んだものの、結局、弱体化して最終的に売りに出されるのはなぜだろうか。その根本原因を解消できない限り、事業部制を導入しても収支は改善されないだろう。
組織が大きすぎる?
「うちはM&Aは失敗してばかりだ」。津賀社長はこう周囲に漏らしているという。その最たる例として、津賀社長が頭を痛めているのは09年に買収した三洋電機だろう。大坪社長時代の決断は、家電依存から脱却し、環境・エネルギー事業に大きく踏み出すとして華々しく取りあげられた。しかし、民生用リチウムイオン電池では韓国サムスン電子の追い上げを受け、大幅な赤字が続く。
太陽電池も利益こそ出てはいるが、パネルの価格低下や需要変動のあおりで将来の成長シナリオが描けず、パネルの増産投資を凍結した。これらの事業買収にからむのれん代や設備の減損損失により、2期連続で7000億円以上の赤字を生むことになった。事業買収からわずか3年ほどで、会社の存続を揺るがすお荷物となりはててしまった。
しかし、ある三洋電機OBは「パナソニックが電池事業をダメにした」と憤る。買収の前後で電池に大型の投資をする腹づもりだったが、パナソニック主導でこうした案は封殺され、「勝機を逃した」(三洋OB)という。このままでは、民生用リチウムイオン電池も他社への売却を模索する展開になり得る。しかし、パナソニックがそういう決断を機敏に実行できるか、疑問がわくのが次の事例だ。
鹿児島県日置市。発光ダイオード(LED)やプラズマディスプレーモジュール等を生産するパナソニック系工場が14年春の閉鎖に向け、段階的に事業縮小を進めている。11年末の発表以来、雇用を失う地元は大荒れだ。大赤字のテレビ事業の改革方針を受けての工場閉鎖だ。