2022年12月8日(木)

#財政危機と闘います

2022年8月19日

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島澤 諭 (しまさわ・まなぶ)

関東学院大学経済学部教授

富山県生まれ。1994年東京大学経済学部卒業 同年4月経済企画庁入庁。調査局内国調査第一課、総合計画局計量班、調査局国際経済第一課等を経て2001年内閣府退官。02年秋田経済法科大学経済学部専任講師、04年10月秋田大学教育文化学部准教授。15年4月から中部圏社会経済研究所研究部長を経て、22年4月より現職。

 くじ引き民主主義や熟議民主主義では、選ばれた人々に生の民意を表明させるのではなく、意思決定が必要な課題に関して専門家からレクチャーを受ける機会を設けてよく学習した上で採決に移る。これは生の民意は危なっかしいというエリート的な前提があるように感じる。つまり、生の民意は間違えるということだ。

 くじ引き民主主義の肯定論には、政治が私たち一般庶民の手から離れ、永田町や霞が関のエリートに占有されてしまっているのでそれを取り返そうという主張も含まれているのに、実はその背後にはエリート的発想が内在されているのは何とも皮肉だ。

 くじ引き民主主義は、生の民意は間違えるから、間違えることがないよう「正しい選択肢」を提示してその中から選ばせようというのである。この時問題になるのは、誰が課題(アジェンダ)を設定するのか、それは幾つ設定するのか、議論する優先順位はどうやって決めるのか、そして誰がくじ引きによって選ばれた代表にレクチャーするのかなどである。

 例えば、財政、社会保障、ヤングケアラー、国防、インフレ、新型コロナ、景気、賃上げ等々、列挙しきれないほどさまざまな課題を日本は抱えている。こうしたたくさんある諸課題からどれを実際に議論する課題として選定し、どういう順番で議論するのかを誰が決めるのだろうか。置かれた立場によって、優先順位は違うだろうが、優先順位を決めるための会合を組織するのだろうか。

 本来であれば、各政党が選挙に際して公約を提示して有権者が選択していくわけであり、選挙という「市場競争」を通じて取り組むべきアジェンダが選定されていくのだが、くじ引き民主制ではそうしたプロセスがない。政党に代わるアジェンダ設定者が必要になる。結局、情報をたくさん持つ官僚がその任を引き受けることになれば、官僚主導で政策決定が進むだろう。

 あるいは、衆議院は今まで通り選挙民主制で代表が決定され、参議院にくじ引き民主主義を当てはめようとの提案もあるが、衆参両院で異なった結論に至った場合、衆院の議決が優越するのならば、くじ引き民主制に基づく参院は不要だし、参院の議決が優越するのならば衆院は不要だろう。

 参院の議決を踏まえた上で衆院が議決をやり直すにしても、やはり衆参での議決の根拠が問われる事態となろう。また、他国からの侵略などに直面した場合などスピードが必要な課題に対しては熟慮型のくじ引き民主制はやはり不向きだ。

中立公正な専門家の判断は存在し得ない

 ある課題に関してくじ引きで選ばれた代表に対するレクチャーを考えても、社会的な問題に唯一の正解はなく、それ故に専門家の立場も無数にあるが、レクチャーさせる専門家をどうやって誰が決めるのだろうか。

 たとえ誰かがどうやってか専門家を選んだとして、その専門家は特定の立場に依拠しない中立・公正な立場であることを誰が保証できるのだろうか。人文社会科学系の専門家はもちろんのこと、自然科学系の専門家でも自分の置かれた立場から完全に自由になることはなく、そうであれば、くじ引きで選ばれた代表に中立・公正にレクチャーするのは困難であり、結果にバイアスがかかってしまう可能性が高い。

 また、そもそも日本国憲法は「国民代表」を念頭に置いているものであり、いついかなる場合も民意があらゆるものに優先するわけではない。例えばロシアのウクライナ侵略に際して、識者や専門家、政治家の中には、国民の生命を守るために政治的妥協という名の即時降伏を勧める向きもあった。しかし、そもそも国際法を蹂躙する侵略者に降伏すれば、生命も人権も保障されないのはロシアに侵略された地での蛮行が全てを物語る。

 自分の身が可愛いのは仕方ないが、自由と人権、独立を守るには戦争も受け入れる覚悟が必要で、そんな重大な決定をくじ引きでたまたま選ばれた代表に負わせても良いのだろうか。もちろん、外交的な懸案事項が拗れた時に、外交努力で打開すべきところ、沸騰した世論に押され開戦を決定してしまう可能性もあろう。

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