スクール☆ウォーズを彷彿させる熱血指導官
部員が段々と増えてくると同校野球部はアパートを借り上げ、1室に2人の部員を住まわせて寮代わりにした。そのうちの一室に坂原監督も一緒に住み、選手たちと寝食をともにすることを心がけた。
同校には2年前に野球部寮が新しく造られたが、その寮の一室で今も同じく坂原監督は部員たちと一緒に生活し続けている。家族の理解を得て坂原監督が自宅に帰る日は7日から10日の間でたった1回のみ。愛する家族の写真も「戦いの場には不要」と自身の肝に銘じ、あえて持参しないようにしている。
全てを下関国際野球部のために捧げ、何事も本気かつ全力でぶつかる。そんな坂原監督の人間性に惹かれ、同校野球部に入部を希望する将来有望な球児たちも徐々に増えてきた。高校野球界関係者や有識者から「名将になる」と太鼓判を押されてきた坂原監督の堅実な指導力も実を結び、同校は17年夏に甲子園初出場を果たすと春夏通算5回目の聖地檜舞台で準Vにまで漕ぎ着けた。
ラグビーと野球の違いこそあるが、かつての弱小チームを全国大会準優勝にまで導いた坂原監督を昭和時代の人気スポ根ドラマ『スクール☆ウォーズ』の主人公・滝沢賢治とダブらせる人も少なくない。
「よくぞ選手たちはここまで戦ってくれたなと。その思いです」
決勝後の閉会式で部員が号泣する姿を見て自身も思わず涙を流した熱血指揮官は強調するかのように、そう言葉を噛み締めた。
やや忘れかけていた昭和のヒューマニズムを漂わせる坂原監督の生き様に胸を熱くした令和のビジネスパーソンも多いのではないだろうか。