日本人社員の良さと外国人社員の良さは全く違った
さて、新会社を設立するために必要なことは、例えるなら古い容器から新しい容器に酒を移し替える作業であった。昔の仕事をいつまでも営々として守ることも大切だが、新しい仕事を開発していかなければ新たな発展はあり得ない。
従って古い企業文化から新しい価値観を生み出すことが新会社の課題となった。 そんな環境の中で推進役になったのが「外国人力」であった。 外国人社員は日本の企業文化に馴染めずに失望して退社することがよくある。
日本人社員は古い会社時代の成功体験を繰り返すケースが多い。これはこれで大切なことで企業文化を構築しながら安定した組織づくりは必要である。しかし外人社員にとって過去のしがらみのないことが積極的に新規の仕事に挑戦できるというメリットもあった。特に外国人社員にとって古い日本人社会に溶け込むまでに一定の時間と経験が必要であることは言うまでもない。
そんな環境の中で先輩の日本人社員と後輩の外国人社員をワンペアにして開発営業を推進することにした。先輩の日本人社員からは当然不平不満が渦巻いた。つまりコミュニケーションのABCから教えなければならないから効率が悪いと言うわけだ。
しかし慣れてくると新たな発想や海外向け取引には便利この上ないメリットも生まれ始める。「外国人力」を発揮するのに伝統的なビジネスの繰り返しでは力は発揮できない上に外国人社員の立場になって考えてみても面白くないはずである。同時に国籍や文化の違いから相性が合わないペアもいたから数カ月毎にグループの入れ替えも小まめにする必要もあった。
離脱の容認も新たな経営方針に加えた
異質の協力とは違った性格同士ならぶつかることもあるが、ものの見方が違うので新しい発想が生まれたり、お互いが補い合ったりするところもあるのでエネルギーは倍となって協力し合えるケースが多い。特に外人と日本人のペアは攻めの外国人力に対して守りの日本人力がうまく咬み合う場合が多いのだ。
ところが外国人社員は安定化したビジネスに安住化することに不満を持ち始めた。会社にとっては確実な利益が確保できても外国人社員は自分の成長は止まってしまうと感じたのかもしれない。 その結果、次々と自分のステップアップのために離職を考えたようだ。具体的には海外のMBAを数年経験してから復職したいと言い出した。その中には幹部候補生もいたが、日本経済の頭打ちを敏感に感じている様子であった。当時の日本企業の給与水準は国際比較でまだ良かったが(例えば中国の)海外の勢いをみるとそれまでのメリットが減ってきたのだろう。
社内の組織の肥大化とともに社内会議が増えてスピード経営がおざなりになってきたことも離職を決断する一因であった。 その結果、有能な外国人社員から退職を希望するようになっていった。特にリーマンショックの後には日本経済の落ち込みを理由に退社する外人社員が増加した。
「離脱の容認」は日本社会には馴染まないが海外では当たり前のことである。日本的な温情主義や平等主義などを唱えてみたところで無意味であった。筆者にとってみると日本社会が甘いだけで、仕方のないことである。
国際社会の中ではすべての面で、周回遅れで足踏みをしているのは周知の事実であった。これは一企業の問題ではなく政治も経済も社会も「お花畑の平和ボケ」しているのだから、世界の中では日本だけが「天動説」で世界の動向はとっくに「地動説」なのだから、過去20年から30年の間国内総生産(GDP)が全く成長していないことも納得せざるを得ないのである。