2024年2月29日(木)

スポーツ名著から読む現代史

2022年9月28日

 両方のタイプの長所と短所を指摘したうえで、落合は、非エリートでありながら、三冠王3度の「頂点を極めた」選手であることをアピールする。「自分自身がどちらのタイプでもないことが、指導者になった時には生かせるのではないかと考えていた」(同書204頁)という。

嫌われるのはチームを強くするため

 落合が8年間務めた中日監督を退任して間もなく出版した著書のタイトルが『采配』だった。落合自身が、というより、版元がそのタイトルにこだわったのは2007年、日本ハムとの日本シリーズ第5戦で、落合が見せた非情の決断が影響しているとみて間違いないだろう。

『采配』(ダイヤモンド社)

 中日が3勝1敗と日本一に王手をかけて臨んだこの試合、中日の先発山井大介が八回まで一人の走者も出さない好投を見せた。日本シリーズ史上初の完全試合まで「あと3アウト」に迫った。

 果たして大記録は誕生するか、ナゴヤドームの観衆も、全国のテレビ桟敷の野球ファンも注目する中、落合監督は球審に投手交代を告げた。山井に代わって抑えの切り札、岩瀬仁紀がマウンドに上がった。球場は騒然とした雰囲気に包まれた。岩瀬は日本ハムの攻撃を三者凡退で打ち取り、中日の53年ぶり2度目の日本一が決まった。

 落合自身は、この時の「采配」についてどう考えているのか。『采配』の中でこう書いている。

 <結論から言えば、私は今でもこの自分の采配を「正しかったか」それとも「間違っていたか」という物差しで考えたことがない。ただあるのは、あの場面で最善と思える決断をしたということだけである。中日ドラゴンズは、1954年に西鉄ライオンズとの日本シリーズに勝って以来、日本一から遠ざかっていた。(略)当時のドラゴンズにとっては、選手の実力、チーム力が云々という以前に、日本一という扉が重くのしかかっていたのである。(略)私の中にあったのは、なんとしてでも日本一を勝ち取ろうという思いだけだった>(同書74頁)

 <本来なら味方であるはずのファンやメディア、場合によっては選手をはじめ身内からも嫌われるのが監督という仕事なのだと思う。しかし、嫌われるのをためらっていては、本当に強いチームは作れない。本当に強い選手は育たない。ひいては、ファンの皆さんが喜ぶ勝利も得られないのではないか。>(『采配』189頁)

 やはり落合、異能の男だ。もう一度、どこかのユニホームを着てくれないものか。そんな期待を抱かせる。                                                 

   
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