2024年11月22日(金)

WEDGE REPORT

2022年10月13日

 9月の上旬には、1996年の第1回行政長官選挙にも出馬した、香港大手デベロッパー「九龍倉集団(The Wharf(Holdings))」の元トップである呉光正(ピーター・ウー)氏は「国際金融センターの地位を失いつつあり、このままでは人材を引き止められない。すでに約70カ国が国境を開放している。民衆は正常化の現実を受け入れ、かつ税関の緩和策を支持した方が良い。10月までに全面的に税関を解放するべき」と隔離を廃止して欲しいという旨の発言をした。

厳しい防疫対策で閑古鳥が鳴いていた香港の空港(筆者撮影、以下同)

 また、不動産企業、中原集団(Centaline Group)を創業した施永青氏も「香港の厳格な防疫対策は不利益を起こしている」と開放を求めた。ほかにも香港経済界などから防疫対策緩和を求める発言が続いた結果、李行政長官は香港への渡航の最大の障害になっていたホテルでの強制隔離を9月26日から廃止することを明らかにした。そう、財界の声に押された形だ。

官僚という抵抗勢力

 李行政長官がこうした判断を下した背景には、香港の公務員事情と世界経済において存在意義が失われつつある状況への香港官僚の危機感がある。

 香港の公務員制度は基本的に英国の制度に則したシステムを採用している。英国人にとっては香港を統治するために優秀な香港人の部下が必要だったこともあり、1997年の中国返還以前は香港大学、香港中文大学の2つだけ大学を設置し、卒業生を公務員に採用していた。

 小学校から大学入学まで、定期的に試験によるふるい落としが行われており、この2つの大学に進めた学生はエリートと位置付けられている。香港の場合は、各省庁のトップは政治家ではなく、日本的に言えば「事務次官」が就くことが多い特殊事情がある。つまり、香港の優秀な若者は公務員をキャリア目標の一つとし、そうした人たちが香港を事実上、治めていたといってもいいほどだ。

 官僚が政策を決める時、最終的には行政長官の決済を受ける必要がある。林鄭月娥前行政長官は香港大を卒業後、公務員となり、発展局長など公務員の要職を得てから行政長官に上り詰めた。彼女は政策推進の表と裏のすべての過程を知っているため、官僚が彼女を説得するのは難しかった。

 一方、現在の李行政長官は警察出身で経済運営には疎いと言われる。官僚にとっては、ある意味説得しやすい長官のようで、李行政長官の方がやりやすいというニュアンスで話してくれた。

 官僚らは隔離が香港経済のすべての障害になっていると懸念していた。外国から大勢の金融関係者を招待する金融フォーラムを11月1日から開催することを企画。さらに隔離があれば彼らは来港しないことも勘案させた。事実上11月までには隔離なしとならざるを得ないような流れも作ったのだ。


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