その日の昼過ぎから、旅順市内の幹線道路は厳重に封鎖され身動きが取れない。夕闇が迫る頃、歩道に幾重にも列をなした野次馬の1人となった。やがて目の前を数輌の大型ベンツを守るかのように、60数台で編成された車列が猛スピードで駆け抜けた。
「北の将軍様」の一行滞在によって、旅順中心部は半日以上も交通マヒ状態を余儀なくされたわけだ。やがて車列が去り、人だかりが崩れ出す。隣の中国人が「厄介な国の厄介な人がやって来た。大型ベンツに納まっていたのがイチバン厄介な人だ」と話してくれた。
どうやら旅順の一般市民からするなら、北朝鮮は「厄介な国」で、その国を統べる金正日は「イチバン厄介な人」でしかなかったことになる。
たしかに張志楽と筆者が接した旅順の野次馬との間には70年以上の隔たりがあり、この間に、この地域を取り巻く国際環境は激変している。だが張志楽の思い、あるいは名も無き中国人の「厄介な国の厄介な人」との呟きからは、「血で結ばれた同盟」は浮かび上がって来そうにない。
幻影か、外交的な装いか
「血で結ばれた同盟」を生み出すに至った朝鮮戦争を米国の中国政策の失敗の延長線上で捉えた『ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争(上下)』(文春文庫 2012年)で、著者のデイヴィッド・ハルバースタムは金日成に対する毛沢東の印象を、次のように描いている。
「金日成に再教育が必要なことは明らかだった。中国が軽蔑しきっている金日成に中国部隊を任せることなどありえなかった」――
「自信過剰な若造」が金日成を指していることは言うまでもないが、「中国が軽蔑しきっている」ことを知ったなら、金日成が次の措置を取ったことは十分に想像できる。つまり「朝鮮労働党政治局と軍内の親中派は高度な機密部署から念入りに排除された」。
中国側で「血で結ばれた同盟」に疑義を唱えたのが、沈志華(1950年生まれ。華東師範大学周辺国家研究院長)である。彼は『最後の「天朝」(上下)』(岩波書店、2016年)で「血で結ばれた同盟」は「神話」に過ぎないとまで断言する。
毛沢東は自らが打ち立てた共産中国の心臓部である北京を守るために朝鮮半島に対する影響力保持を狙い、朝鮮労働党内での親中派拡大に腐心した。それは、彼の立場からするなら、東方の守りを固めようと朝鮮半島へ強い関心を持ち続けた中国歴代王朝の皇帝に倣ったとも考えられる。
だが、同書の「朝鮮民族の参加がなければ、満洲事変以後(特に初期)における中国共産党の指導する武装抗日運動はなかったと言ってもよい」との指摘に従うなら、金日成が毛沢東に対して「高飛車な態度」で応じたことも想像可能だ。中国共産党に貸しはあっても借りはないと考え、自ら指導する朝鮮労働党内の親中派を毛沢東の手先を見なし、金日成が毛沢東に強い警戒感を抱いたとしても、あながち不思議ではないだろう。
こう見ると、どうやら「血で結ばれた同盟」は発足当初から幻影に過ぎなかった。少なくとも双方の対立を包み隠そうとする外交的装いではなかったか。