2024年7月22日(月)

スポーツ名著から読む現代史

2022年10月20日

 選手だけではない。競技団体もスター選手が稼ぎ出す潤沢な資金の恩恵にあずかるようになると、選手の記録がなぜ伸びたのか、といった詮索は二の次になる。極論すれば、薬物の手を借りていようがいまいが、金を稼ぐ選手は宝だ。

 「ヘルシンキ大会では、ドーピング検査の陽性は一例もなかった」とネビオロが自信満々に発表した1年後、米国の短距離選手が衝撃的な告白をした。「(ヘルシンキ大会で、)少なくとも38人の選手が検査で陽性で、そのうち17人はアメリカの選手だった。でも、あまりに有力選手ばかりだったので、大会運営委員会はあえて名指しするのをやめた」(同書291~292頁)。もちろんネビオロは発言を無視する。

 東京大会でも、ロシアの選手たちが組織的ドーピング問題の処分により「ロシア・オリンピック委員会(ROC)」として参加した。今でもスポーツにまつわるドーピング問題ははびこり続ける。

いったい誰のための五輪なのか

 五輪運動は1984年のロス大会で商業化にかじを切った結果、世界のスポーツビジネスが飛躍的に潤う一方、禁止薬物使用をはじめとする様々な不正がスポーツ界に流れ込んできた。IOCや各競技団体のトップに利権が生まれ、そこから腐臭が漂うようになった。

 サマランチが進めた五輪の商業化のマイナス面ばかりを取り上げた同書への批判の声もある。日本版の出版にあたり監訳者となった広瀬隆も同書の解説の中で、「イギリス人が良い子になりすぎている」と批判している。だが、同書で取り上げた様々な批判は、きちんと処理されなければならない問題ばかりだった。

 本来、五輪とはどうあるべきなのか。今回紹介した「黒い輪」が暴露したスポーツ界の病巣を、いま一度しっかりと検証することから始める必要がある。

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