2024年2月29日(木)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2022年11月2日

 香港返還前後、中国では「ノーと言う中国」と言ったテーマがブームになったことがある。当時、中国の発展には「接軌」――国際社会の動きに沿うべし――を求める声が聞かれたが、いまや北京から「接軌」の2文字が聞かれることはない。むしろ3期目に入った習政権の振舞からは「接軌」の「軌」は中国の価値観であり、その「軌」に世界が「接」するべきだ、といった勢いすら感じられるほどだ。

毛沢東の亡霊と日本はどう付き合っていくべきか

 第20回共産党大会を機に、習政権は前例のない政権3期目に踏み出した。共産党指導部を形成する中央政治局常務委員会と中央政治局をほぼ自派で固めたところから、「お友達政権」、いや「お小姓政権」と揶揄されようが、やはり〝習近平の圧勝〟と形容するしかない。であればこそ、この大会は習国家主席にとっては「勝利の大会」であったに違いない。

 「勝利の大会」で思い出されるのは、1969年4月に開かれた第9回共産党大会である。最大の政敵である劉少奇を屠り去り、文革を共に戦った林彪を「毛沢東同志の親密なる戦友であり後継者」として『中国共産党章程』に正式に記したことに成功したからだろう。あの日、毛沢東は椅子から立ち上がり、会場全体に向かって「勝利の大会」を連呼していた。もちろん会場を埋め尽くした1512人の参加者は『毛主席語録』を狂ったように打ち振りながら、「毛主席万歳」を連呼したのである。

 だが、その後に判明したところでは、第9回大会は毛沢東と「毛沢東同志の親密なる戦友であり後継者」との間の新たな、そして熾烈で陰湿な権力闘争の始まりでもあった。やがて権力闘争に敗北した林彪は1971年9月、夫人と共にモンゴルの草原に屍を晒すこととなったのだ。もちろん、「林彪事件」で総称される一連の権力闘争の真相は、共産党政権が続く限り明らかになることはないだろう。

 林彪を失って以後、権力に対する毛沢東の執着心は徐々に薄れていったように思えてならない。

 第20回共産党大会で示された人事を改めて見直した時、確たる後継者が見当たらないことに気づかされる。あるいは習国家主席は毛沢東が主宰した1969年の「勝利の大会」とその後の顛末から教訓を学び、敢えて後継者を立てなかったとも考えられる。とするなら習国家主席にとっての政権3期目の隠れたる最重要課題は、2027年以降の次期政権の人事構想となるはずだ。

 いつの時点で、どのような後継者を立てるのか。もちろん習近平政権の半永久化も想定しておくべきだろう。習近平一強体制が、いつ、どのような形で終焉を迎えるのかは不明だ。だが当分の間、中国は〝毛沢東のよい子〟たちによって担われるに違いない。だから世界は、この先10年前後は毛沢東の亡霊と付き合わざるを得ないだろう。

 日本の場合、今から10年後の2032年は上海事変と中国が「偽」を冠して呼ぶ満州国の建国から百年目に当たり、その前年の31年は満洲事変から百年目を迎えることになる。

 それだけに、これからの日中関係は、なんとも頼りない「聞く力」だけで対処できるような生易しいものではないことを覚悟しておく必要があるはずだ。

 
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