この一連のアラブ世界での民衆の蜂起を、欧米諸国は、「アラブの民衆が民主化を求めている」と見なした。しかし、その実態は、他人任せ体質のアラブの民衆が、自分達が責任を負わなければならない民主主義を求めたわけではなく、単に延々と続く一人の独裁者の統治に飽き、これらの独裁者達が自分達の要求(生活の向上)を満たしてくれないことに憤り、誰か別の独裁者を求めたに過ぎないように思われる。
エジプトでは、民主的選挙でイスラム原理主義のムスリム同胞団のムルシー氏が大統領に選ばれたが、長年弾圧されて地下活動をしていたムスリム同胞団に国家を運営する能力があるはずがなく、その政権運営は稚拙で、急速なイスラム化を進めたこともあり、たちまちエジプトの民衆に飽きられ、翌年にはシシ国防相(当時)による軍事クーデターで倒された。今のところ、エジプトの民衆はシシ大統領の独裁に満足しているようである。
イスラム原理主義勢力が選挙に勝ってしまう
上記の社説は、欧米諸国がエジプトの地政学的重要性並びにシシ政権が武器を買ってくれるから、その人権弾圧に目をつぶっている、と論じているが、問題の根はもっと深い。アラブ世界における自由な選挙の欧米にとっての問題点は、そういう選挙をすると、結局、イスラム原理主義勢力が勝つことである。
欧米諸国には、自由な選挙さえ行われば、人々は、政教分離の民主主義を選ぶはずであるという願望があるが、まずいことに、アラブ世界では、往々にして祭政一致のイスラム原理主義勢力が選挙に勝ってしまうのである。そして、「イスラム国」(IS)やアルカイダの例をみるまでも無く、欧米にとり、イスラム原理主義とイスラム過激主義テロはほぼ同義であり、軍事独裁政権であってもイスラム原理主義政権よりマシであるとして、見て見ぬふりをするのである。
また、アラブの独裁政権では、イスラム原理主義勢力のみならず、ファタハ氏の様な世俗的な反体制派も弾圧されるが、これは、政権側が権力と利権を失わないたくないためであろう。そして、欧米は、彼らと価値観を共有する世俗的な反体制派に対しては支援の手を差し伸べる。例えば英国は、エジプトで拘束されているファタハ氏に市民権を付与し、それを根拠に介入しようとしているが、無実の罪での投獄であるにせよ、これは伝統的な国際法から見れば、内政干渉ではないだろうか。