「外部勢力」への4つの対抗
そこで江沢民時代の中共は、西側が経済的・文化的な魅力をいつの間にか社会主義国にも及ぼし、社会主義国家に対する人々の信念が損なわれるという「和平演変(平和的体制転換)」の陰謀に中国も直面していると決めつけ、「外部勢力」への対抗のため、政治と経済の両面で手を打った。
(1) 90年代に増加した新疆での衝突は、イスラム原理主義や汎トルコ主義・中央アジア独立の動きに影響を受けた「東トルキスタン恐怖主義 (テロリズム)・分裂主義分子」の犯行であり、チベット仏教の活仏の生まれ変わり児童選びにおける中国政府の主導権を否定する動きは、「ダライ・ラマ分裂主義分子」の悪影響であると見なし、これら「外部勢力」に従う人々を徹底的に弾圧する。
(2) 愛国主義教育を徹底的に推進し、中国の発展の導き手は、抗日戦争をはじめとした帝国主義列強の圧迫に対して一貫して抵抗してきた中共しかないことを知らしめる。とりわけ、歴史教科書問題や政治家の靖国神社参拝など「軍国主義」を否定しない日本については、抗日ドラマや教育を通じて「妖魔化」し、新たな時代における抵抗と団結を図る。(80年代から90年代前半にかけ、中国のテレビは日本コンテンツを盛んに流し、非常に親しまれていたが、愛国主義教育のもと一掃された)
(3) 中間層が決して「外部勢力」の影響を受けないようにするには、彼らこそグローバルに製品力や商業力を競う時代における中共主導の経済発展の担い手であると自覚させ、かつその中で利益を受けさせる必要がある。そこで、従来の「中共=労働者と農民の前衛党」という規定を「中共=中国の先進性を代表する党」へと大胆に改め、若く大量の大卒中間層を党員へと取り込むこととする(三つの代表論)。
(4) 「中共の指導のもと、中国は高度な生産力を持つ社会主義社会となり、≪欲求に応じた分配≫のパラダイス=共産主義社会が近づいている」という毛沢東時代の認識は非現実的であり、中国にあまたの問題を引き起こし、民主化運動へと結びついてしまった。むしろ、市場経済の発展を踏まえた真の生産力向上という、資本主義段階と同じ過程を中共主導で実現する「社会主義初級段階」を長期間続けることで、真に国力を増進し、さまざまな格差や不平等を解消すれば、人々の党への批判も解消される。そこで、経済発展のために必要な「社会の安定」を断固として担保する。イデオロギー的には「中国の特色ある社会主義」で全党員・人民を武装し、「外部勢力」の影響を排除する。
徹底的な弾圧
要するに江沢民時代とは、「中国への外部勢力の浸透」に対し、陰謀論的な警戒心を異常なほどまでに深めながら、一方では生産力信仰に基づいて経済的な門戸を開いた時代であった。同時に、政治思想面での差し障りを生じない範囲で、外界との社会・文化的な往来について否定されず、中国の人々が国際的な活躍の舞台を広げた。
中国のある一公民が、「中共こそ中国の独立と発展のために責任を尽くしてきた」という言説や、中国社会の主流な価値観に疑問を抱かないまま、大胆な経済開放の中で「発財」し、消費生活や大衆文化を謳歌するのであれば、江沢民時代は中国史上かつてなく「自由」であった。習近平時代の過酷な現実と比較して、あたかも江沢民という固有名詞が良き時代へと回帰してゆく変化のキーワードであると思うのも、有り得ないことではない。
しかし江沢民時代以後、胡錦濤・習近平時代へと続く中で、ある中国公民がいささかでも先述の基準から外れて独自の思考をすれば、たちまち「外部勢力」の影響を疑われ、徹底的な弾圧を被る運命にあり、しかもその程度は甚だしくなっていった。
1990年代半ばからチベットで執拗に繰り返されたダライ・ラマ批判の強要は、チベット人の幅広い怒りを引き起こし、ついに2008年には北京五輪聖火リレーと前後した独立運動と凄惨な弾圧に至った。
ウイグル・カザフ人が異議申し立てで起こす衝突は、ただでさえイスラム原理主義の悪影響とされたのみならず、01年の米国同時多発テロ以来「テロとの戦い」が米中両国のコンセンサスとなる中で、漢人のウイグル・カザフ人に対する偏見も深まり、09年のウルムチでの衝突に至った。そして、イリハム・トフティ中央民族大学副教授らの和解を模索する平和的な意見すら「外部勢力」の影響と切り捨てられた。
1989年の民主化運動に参加した劉暁波氏は2008年、中国のさまざまな問題を解決するためには、立憲主義的で自由な体制への移行が必要だとして『零八憲章』を著し、弾圧された。19年には、香港の開かれた自由と文化的価値を守ろうと行動した人々が香港警察に弾圧され、香港国家安全維持法の下で香港の自由は失われた。これらもひとえに、「外部勢力」の影響を強く疑う中共の一方的な認識と不可分である。